ムーサ・クーサアラビア語: موسى كوسا‎、Mussa Kussa1949年3月23日 - )は、リビア政治家外交官1994年から2009年リビア情報庁(諜報庁)長官を経て、2009年から対外連絡・国際協力書記(外務大臣に相当)に就任した。カダフィ体制下のリビアにおける実力者の一人と目されていたが[1]、2011年3月30日、外相を辞任しチュニジア経由で英国に亡命した。[2]

ムーサ・クーサ
موسى كوسا
ムーサ・クーサ(2010年9月21日撮影)
生年月日 1949年3月23日
出生地 リビア、ベンガジ
前職 リビア対外連絡・国際協力書記(外務大臣)

リビアの旗 対外連絡・国際協力書記(外務大臣
在任期間 2009年3月4日 - 2011年3月30日
革命指導者 ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)

リビアの旗 情報庁(諜報庁)長官
在任期間 2004年 - 2009年
革命指導者 ムアンマル・アル=カッザーフィー
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教育 編集

アメリカ、ミシガン州立大学に学び、1978年社会学の学位を取得した[3]

外交官、情報部長官 編集

1980年代、リビアの英国大使館勤務の後、在欧外交公館で治安専門家として働いた。1980年代後半、英国を追われた。後年、駐英大使となり、英国に亡命したリビア人反体制派を弾圧している。1992年外務次官。1994年情報庁長官[1]

外相 編集

2009年3月4日アブドゥル・ラフマン・シャルガムの後任として全国人民会議(議会に相当)によって、外相に当たる対外連絡・国際協力書記に指名された[1]

2009年4月、リビアの首都トリポリで開催されたアラブ・マグレブ連合(リビア、アルジェリアモロッコモーリタニアチュニジアが加盟)理事会を主催した[4]

2009年11月10日、アッ・シャルク・アル・アウサト紙のインタビューで、中国のアフリカ投資に対して激しく批判した。中国がアフリカに多数の労働者を送り込むなど、「アフリカを半分占領しているようなものだ」と強い警戒感を表明し、中国の振る舞いについて「アフリカ大陸における過去の植民地主義を想起させる」と指摘した。また、対アフリカ支援は、リビアが議長国を務めるアフリカ連合(AU)を通じて行うべきだと強調した[5]

脚注 編集

  1. ^ a b c "Libyan spy chief named FM in reshuffle", AFP, 4 March 2009.
  2. ^ http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20361320110331 リビア外相が英国亡命、英政府はカダフィ氏周辺に離反呼び掛け ロイター 2011.3.31
  3. ^ http://vitalperspective.typepad.com/vital_perspective_clarity/libya/
  4. ^ AFP Getty Images
  5. ^ Yitzhak Shichor, "Libya Cautions China: Economics Is No Substitute to Politics", China Brief, Volume 9, Issue 24, Jamestown Foundation, 3 December 2009.
先代
アブドゥル・ラフマン・シャルガム
  リビアの外相
2009年 - 2011年
次代
アブドゥルアーティー・アル=オベイディー英語版
(代行)