ムーンジューン・レコード

ムーンジューン・レコード(MoonJune Records)は、プログレッシブ・ロックジャズ・ロック、そして前衛的な音楽に焦点をあてたレコード・レーベルである。2001年、音楽プロデューサーのレオナルド・パブコヴィッチによって設立された[1]

ムーンジューン・レコード
MoonJune Records
親会社Digiview Entertainment
設立2001年 (2001)
設立者レオナルド・パブコヴィッチ
(Leonardo Pavkovic)
販売元ユニバーサル ミュージック グループ (アメリカ)
ジャンルプログレッシブ・ロック、アヴァンギャルド・ミュージック、エスノ・ジャズ、ジャズ・ロック
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
本社所在地ニューヨーク
公式サイトmoonjune.com

略歴 編集

レオナルド・パブコヴィッチは、ユーゴスラビア生まれの南イタリア育ち。若い頃、ブラック・サバスディープ・パープルドアーズ、そしてレッド・ツェッペリンの音楽に魅了され、それからジェネシスピンク・フロイド、そしてイエスといったプログレッシブ・ロックに心酔し、ジョン・リー・フッカーマディ・ウォータース、そしてジョン・メイオールのようなブルースを追いかけるようになった。また、コンサートのドキュメンタリー『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)、『ワイト島音楽祭』(1970年)、そして『ピンク・フロイド・ライヴ・アット・ポンペイ』(1972年)にも影響を与えられたと述べている。彼は、いわゆる主流と見なされる可能性のある音楽を避けている[2]

1980年代、彼はECMレコードとそこに属するミュージシャン、キース・ジャレットヤン・ガルバレクエグベルト・ジスモンチパット・メセニーテリエ・リピダルエバーハルト・ウェーバーといったラインナップを発見した。また、ジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスサン・ラ、そしてキース・ティペットによる音楽も賞賛した[2]

大学で彼はブラジルとポルトガルの文学に没頭した。また、彼は6つの言語(セルビア語、クロアチア語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、英語)を話せるようになった。1990年、ニューヨークに移り住み、グラフィックデザインを手掛けるようになった。相変わらずのプログレッシブ・ロック・ファンで、2000年の「NEARfest」を観覧し、そこでイタリア・ヴェローナから参加したバンド、DFAを見ることになった。友人のエルトン・ディーンと共に、DFAのアルバム『Work in Progress Live』と、2枚の別のアルバム、エルトン・ディーンとマーク・ヒウィンズによる『Bar Torque』、そしてFinisterreによる『Storybook』をリリースし、それがムーンジューン・レコードによる最初のリリースとなった[2]

ムーンジューン・レコードは、ジラッド・アツモン、デワ・ブジャナ、DFA、ドゥウィッキ・ダルマワン、ミシェル・デルヴィル、ユミ・ハラ、トニー・レヴィン、Marbin、フィル・ミラー、デニス・レア、マーカス・ロイター、アサフ・シルキス、ソフト・マシーンスティック・メン、トーパティ、トライポッド、マーク・ウィングフィールドなどによるアルバムをリリースした[3]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ Interview with Leonardo Pavkovic”. All About Jazz. 2018年4月6日閲覧。
  2. ^ a b c MoonJune Records: A Decade of Progressive Rock Documentation” (英語). All About Jazz (2011年10月5日). 2018年4月6日閲覧。
  3. ^ Artists | MoonJune Records”. moonjunerecords.bandcamp.com. 2018年5月25日閲覧。

外部リンク 編集