メアリー・ピーターズ (陸上競技選手)

レディ英語版メアリー・エリザベス・ピーターズ(Lady Mary Elizabeth Peters, LG, CH, DBE, 1939年7月6日 - )は、イギリス北アイルランドの元陸上競技選手で、五種競技砲丸投に出場した。

メアリー・ピーターズ
LG CH DBE
メアリー・ピーターズ(2008年)
個人情報
本名Mary Peters
フルネームMary Elizabeth Peters
国籍イギリスの旗 イギリス
生誕 (1939-07-06) 1939年7月6日(84歳)
イングランドの旗 イングランド リバプール ヘイルウッド英語版
獲得メダル
女子陸上競技
イギリスの旗 英国代表
オリンピック
金メダル - 1位 1972年ミュンヘン 五種競技
北アイルランドの旗 北アイルランド代表
コモンウェルスゲームズ
金メダル - 1位 1970年エディンバラ 砲丸投
金メダル - 1位 1970年エディンバラ 五種競技
金メダル - 1位 1974年クライストチャーチ英語版 五種競技
銀メダル - 2位 1966年キングストン英語版 砲丸投

若年期と教育 編集

ピーターズはイングランドリバプール近郊のヘイルウッド英語版1939年7月6日に生まれた。11歳のときに、父親の仕事の都合で北アイルランドバリミーナ英語版に、後にベルファストに移った[1]。現在はベルファスト郊外のリスバーン・アンド・カースルレー地区内のデリアギー英語版に住んでいる[2][3]

十代のとき、父親が誕生日プレゼントとして自宅に練習場を建設した。ピーターズは教師の資格を取得し、働きながらトレーニングをしていた。

陸上競技のキャリア 編集

 
1972年ミュンヘンオリンピック 五種競技の金メダル

一家でバリミーナからポータダウン英語版に移り、ピーターズはポータダウン大学英語版に入学した。大学では学長のドナルド・ウッドマンと体育教師のケネス・マクレランドがピーターズに陸上競技を教え、マクレランドはピーターズの最初のコーチになった。ピーターズは1956年に女子学生の総代となった。

五種競技では、1964年東京オリンピックで4位、1968年メキシコシティーオリンピックで8位に入賞した。1972年ミュンヘンオリンピックでは、地元ドイツのハイデ・ローゼンダールを10点差で破って当時の世界新記録を樹立し、この大会でイギリス代表の陸上競技選手では唯一となる金メダルを獲得した。この後、BBCに「メアリー・ピーターズはプロテスタントであり、イギリスのためにメダルを獲得した。彼女の命は狙われ、それはIRAのせいにされるだろう」という、IRAからとみられるピーターズに対する殺害予告の電話がかかった。それにもかかわらず、ピーターズは北アイルランドに帰った。空港には大勢のファンが詰めかけ、ピーターズはパレードを行った。しかし、3か月間は自宅に戻ることを許されなかった。父は仕事の都合でアメリカやオーストラリアに移ったが、ピーターズは北アイルランドに留まった[1]。この年のBBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー賞はピーターズに授与された。

また、1958年から1974年までのコモンウェルスゲームズに北アイルランド代表として出場し、五種競技で金メダル2個、砲丸投で金メダル1個、銀メダル1個を獲得した。

引退後 編集

2001年5月にアウトワード・バウンド・トラストの理事に就任し、北アイルランド・アウトワード・バウンド協会の副会長も務めている。 また、ロッチデールにあるスプリングヒル・ホスピスを支援している。

メアリー・ピーターズ・トラスト 編集

ピーターズは1975年に、北アイルランドの才能のある若いスポーツ選手を支援するスポーツ・トラスト(現 メアリー・ピーターズ・トラスト)を設立した。グレーム・マクドウェルローリー・マキロイジョナサン・レイダレン・クラークデヴィッド・ハンフリーズ英語版ベサニー・ファース英語版ライアン・バーネットカール・フランプトンパディ・バーンズ英語版マイケル・コンランケリー・ギャラガー英語版マイケル・マキロップ英語版などがこのトラストの支援を受けた。

栄誉 編集

1973年、大英帝国勲章メンバー(MBE)の叙勲を受けた[4]。1990年にコマンダー(CBE)に[5]、2000年にデイム・コマンダー(DBE)に昇進した[6]

2015年にはコンパニオン・オブ・オナー勲章(CH)が[7][8]、2017年には聖ジョン勲章英語版デイム(DStJ)が授与された[9]

2019年2月27日、ガーター勲章の叙勲を受けたことで、レディ英語版の称号が付与された[10]。同年6月17日のガーターデーに、セントジョージ礼拝堂において勲章の授与が行われた。

ベルファスト郊外には、ピーターズの名を冠した陸上競技場「メアリー・ピーターズ・トラック」があり、ピーターズの銅像が建っている[11]

2009年8月から2014年7月までベルファスト総督を務めた[2][12]

名誉職
先代
ロメイン・カースウェル
ベルファスト総督
2009年8月9日 - 2014年7月6日
次代
フィオヌアラ・ジェイ=オボイル英語版

脚注 編集

  1. ^ a b Ian McCourt (2012年5月22日). “50 stunning Olympic moments No32: Mary Peters wins gold in 1972”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/blog/2012/may/22/olympic-moments-mary-peters-1972 
  2. ^ a b “BBC NEWS: "Dame Mary now has regal role"”. BBC News. (2009年4月8日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/7989921.stm 2009年4月8日閲覧。 
  3. ^ McNeilly, Claire (2019年6月18日). “Queen's highest honour for Mary Peters”. Belfast Telegraph. オリジナルの2019年6月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190618100939/https://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/queens-highest-honour-for-mary-peters-38227371.html/ 2022年1月9日閲覧。 
  4. ^ "No. 45860". The London Gazette (Supplement) (英語). 29 December 1972. pp. 12–16.
  5. ^ "No. 52173". The London Gazette (英語). 15 June 1990. pp. 7–9.
  6. ^ "No. 55879". The London Gazette (Supplement) (英語). 19 June 2000. p. 7.
  7. ^ "No. 61092". The London Gazette (Supplement) (英語). 31 December 2014. p. N28.
  8. ^ 2015 New Year Honours List”. 2015年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月4日閲覧。
  9. ^ Order of St John”. Thegazette.co.uk. 2019年10月9日閲覧。
  10. ^ New appointments to the Order of the Garter announced”. The Royal Family (2019年2月27日). 2019年2月27日閲覧。
  11. ^ Dame Mary Peters”. From Pitch to Plinth. 2023年2月24日閲覧。
  12. ^ “New Lord Lieutenant of Belfast Fionnuala Jay-O'Boyle is a force to be reckoned with” (英語). http://www.belfasttelegraph.co.uk/life/features/new-lord-lieutenant-of-belfast-fionnuala-jayoboyle-is-a-force-to-be-reckoned-with-30535594.html 2017年6月7日閲覧。 

外部リンク 編集