メールス(ドイツ語: Moersドイツ語発音: [ˈmœʁs] ( 音声ファイル)、旧オランダ語: MurseMursMeurs)は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフ行政管区ヴェ―ゼル郡英語版に位置する都市。かつてはMörsと綴られた。

メールス

Moers
メールス城 (2014年)
メールス城 (2014年)
メールスの紋章
紋章
メールスの位置(ドイツ内)
メールス
メールス
北緯51度27分33秒 東経6度37分11秒 / 北緯51.45917度 東経6.61972度 / 51.45917; 6.61972
ドイツの旗 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区 デュッセルドルフ行政管区
ヴェ―ゼル郡英語版
政府
 • 市長 クリストフ・フライシュハウアードイツ語版
面積
 • 合計 67.68 km2
人口
(2015年12月31日)
 • 合計 104,529人
 • 密度 1,500人/km2
郵便番号
47441 - 47447
市外局番 0 28 41
標準時 CET/CEST (UTC+1/+2)
ウェブサイト moers.de

歴史 編集

メールスの外国人居住者
人口 (2014年)
  トルコ 4,245
  イタリア 725
  ポーランド 586
  セルビア 427
  クロアチア 327

メールスの歴史は古く、1186年には神聖ローマ帝国の独立した公国として成立していた。

八十年戦争では、ゲルデルン公領の北部1/4に接していたこともありスペイン帝国軍とネーデルラント軍に相次いで占領された。1597年にはオラニエ公マウリッツ率いるネーデルラント軍とスペイン帝国軍がメールスで包囲戦英語版を展開している。ネーデルラント連邦共和国独立の際、メールスはゲルデルン公領の北部1/4に位置していたことから連邦共和国から切り離され、スペイン領ネーデルラントの下に入った。しかし、共和国には組み込まれていないにもかかわらず、ネーデルラント軍の駐留を受けている。

1702年オラニエ公ウィレム3世が死去すると、メールスはプロイセン王国の支配下に入り、同時に駐留していたネーデルラント軍は全て追い出された。1795年にはフランス革命の余波を受けフランスの領土となった。その後1815年ウィーン会議でプロイセン王国へ返還されている。1871年にはドイツ帝国領となった。

第二次世界大戦では石油工場があった関係で連合国の爆撃にさらされている[1]

ギャラリー 編集

スポーツ 編集

1985年バレーボールの競技チームが結成され、1989年ブンデスリーガでは優勝している。

メールス出身の人物 編集

姉妹都市 編集

1966年   メゾン=アルフォール
1974年   バポーム英語版
1980年   ノーズリー英語版
1987年   ラムラ
1989年   ラ・トリニダー
1990年   ゼーロウ

脚注 編集

  1. ^ Index - Tom Reel 304 : Documents taken from Steinkohlenbergwerk Rheinpreussen, Moers”. Fischer-tropsch.org. 2013年10月17日閲覧。

外部リンク 編集