モルディブ民主党

モルディブの政党

モルディブ民主党(モルディブみんしゅとう、Maldivian Democratic Party)は、モルディブ政党。モルディブの民主化運動で中心となり、2008年大統領選挙では同党のモハメド・ナシードが勝利した。2015年1月現在では、国民議会野党第1党で、ナシードが党首を務めている。略称は「MDP」。

 モルディブの政党
モルディブ民主党

ދިވެހިރައްޔިތުންގެ ޑިމޮކްރެޓިކް ޕާޓީ
創立 2005年11月10日 (2005-11-10)
本部所在地 マレ
青年部 MDP青年部
政治的思想 自由民主主義
自由保守主義
環境主義
中道右派
国際連携 国際民主同盟[1]
国民議会議席
31 / 85
公式サイト
mdp.org.mv
モルディブの政治
モルディブの政党一覧
モルディブの選挙

概要 編集

創設 編集

マウムーン・アブドル・ガユームの長期政権を批判する民主化運動の中で、MDPは2003年に亡命政党として結成された。後にガユームが多党制を容認(民主化)したことに伴い、2005年にMDPは正式に合法政党として登記されている[2]

2008年大統領選挙 編集

2008年の大統領選挙(民主化後初の選挙)では、MDPはモハメド・ナシードを大統領候補として擁立し、決選投票でガユームを破って勝利した。勝因は、第1ラウンドで敗退した3位以下の候補たちがナシード支援に転じたことにある。

しかし翌2009年の国民議会選挙ではMDPは第2党の地位にとどまり、ガユームの影響力が強いモルディブ人民党(DRP)が第1党となった。これにより、モルディブはねじれ状態となってしまう。そして2012年2月7日、ナシードは軍隊警察の反感を買ったために事実上のクーデターを受け、大統領を辞任。これに伴いMDPは大統領与党としての地位を失った。

2013年大統領選挙 編集

2013年6月16日、態勢を立て直したMDPは、次期大統領候補にナシードを、党首にリーコ・ムーサ・マニク英語版を選出した[3]。同年の大統領選挙では、まず第1ラウンドでナシードが1位を獲得した。しかし決選投票では、第1ラウンド2位にして、ガユームが新たに結成したモルディブ進歩党(PPM)の候補であるアブドラ・ヤーミンの前に敗北した。前回とは逆に、3位候補だったガーシム・イブラヒム英語版がヤーミン支援に転じたことが最大の敗因であった[4]。なおガーシム率いる共和党(JP)は、PPMを中心とする連立与党に加わっている。

2014年国民議会選挙 編集

翌2014年3月22日の国民議会選挙でも、MDPは全85議席中26議席にとどまり、33議席を獲得したPPMに次ぐ第2位(野党第1党)に終わる。国民議会選挙での敗北の責任をとり、マニクが党首を辞任、ナシードが暫定党首として復帰した[5]

新たな国民議会でのMDPは、まず、議長職を巡ってPPMと対立、連立を離脱しかけていたJPを支持する。5月28日の議長選挙において、MDPはJPのガーシムに投票したが、PPMが擁立したアブドラ・マシーハ・モハメドに僅差で敗れた。しかし副議長選では、JPの支援もあってマニクが僅差で勝利している。同日、正式にJPがPPMなどの連立与党から追放されたため、以後、MDPはJPと協調行動をとることになる[6]

しかしPPMを中心とする連立与党の優位は続き、同年7月までにMDP議員3名が離党、この時点でのMDPの議席数は23となってしまう[7]。8月29日、ナシードが正式に党首に返り咲いた。9月25日、10月10日に、ナシードを始めとするMDP指導者が暴徒に襲撃される事件が発生する。この事件でMDPは与党PPMの対応を非難したが、その一方で、ナシードは僚友たるマニクの事件対応に不満を持つようになる。同年12月22日、MDPは党方針に反したとしてマニクの党籍を剥奪した。マニクは翌2015年1月4日に党へ不服申立てを行っているものの、MDPの議席数は22に減少したことになる[8]

編集

  1. ^ IDU Member Parties 2020.1.7閲覧。
  2. ^ MALDIVIAN DEMOCRATIC PARTYDHIVEHI SITTE(2014年6月25日閲覧)
  3. ^ 「2013年6~7月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月14日閲覧)
  4. ^ 「2013年11~12月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月14日閲覧)
  5. ^ 「モルディブ2014年3~4月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月13日閲覧)
  6. ^ 「モルディブ2014年5~6月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月13日閲覧)
  7. ^ 「モルディブ2014年5~6月主な動き」、「モルディブ2014年7~8月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月13日閲覧)。これらに記載されている各党議員数には細かいところで不明点ないし矛盾点が出ている。離党したMDP議員のうち、少なくとも2名はPPMに移籍しているが、もう1名の動向は不明。MDPの議席数は「7~8月」に記載されているものを採用した。
  8. ^ 「モルディブ2014年7~8月主な動き」、「モルディブ2014年9~10月主な動き」、「モルディブ2014年11~12月主な動き」在スリランカ日本国大使館ホームページ(2015年4月14日閲覧)。

参考 編集