モンテネグロ王国
Краљевина Црнa Горa (セルビア語)
Kraljevina Crna Gora (セルビア語)
モンテネグロ公国 1910年 - 1918年 セルビア王国 (近代)
モンテネグロの国旗 モンテネグロの国章
国旗国章
国歌: Ubavoj nam Crnoj Gori
私たちの美しいモンテネグロ
モンテネグロの位置
モンテネグロ王国の位置(1914年)
公用語 セルビア語
国教 東方正教[1]
首都 ツェティニェ(1910年 - 1916年)
(1916年以後の亡命政権の首都はボルドー
国王
1910年 - 1918年 ニコラ1世
首相
1910年 - 1912年ラザル・トマノヴィッチ
1917年 - 1918年エヴゲニイェ・ポポヴィッチ
面積
1910年9,475km²
1912年14,442km²
人口
1912年22,000人
1918年500,000人
変遷
王国に昇格 1910年8月28日
バルカン戦争1912年 - 1913年
ロンドン条約1913年5月30日
バルカン戦線1914年 - 1918年
コルフ宣言英語版1917年7月20日
セルビアと合併1918年11月28日
通貨モンテネグロ・ペルペル
現在モンテネグロの旗 モンテネグロ
セルビアの旗 セルビア
コソボの旗 コソボ

モンテネグロ王国(モンテネグロおうこく、セルビア語: Краљевина Црнa Горa / Kraljevina Crna Gora)は、1910年から1916年の間にバルカン半島の現在のモンテネグロにあった王国である。形式上は1918年まで存続した。

歴史 編集

モンテネグロの主教公英語版Vladika)であったダニーロ1世英語版は1852年に世俗公књазprince)を自称し、モンテネグロ公国を建国した。暗殺されたダニーロ1世の後を継いだニコラ1世は1905年に憲法を改正し、元首の称号を「公」から「王(Краљ)」へと昇格させた。ニコラ1世は1910年に即位し、正式にモンテネグロ王国が成立した。首都はツェティニェ立憲君主制を採用していたが実質的には絶対君主制国家であった。 バルカン戦争で戦勝国として領土の拡張に成功した。1914年の第一次世界大戦ではセルビア王国を支援するため連合国側に立ち参戦したが、セルビアが大敗したためオーストリア・ハンガリー帝国軍の侵入を許し、全土を占領された。1916年1月15日に王国政府は降伏を受諾したが、ニコラ1世はこれを受け入れず、イタリアを経由してボルドーに亡命し、抵抗を続けた。

その頃汎スラヴ主義に基く、セルビア王国主導のスラヴ人合同、すなわちユーゴスラビア委員会英語版を代表とするユーゴスラビア建国の動きが運動が活発化しており、1917年には1917年7月20日コルフ宣言英語版を採択してモンテネグロとセルビア王国、クロアチアスロベニアマケドニアの合同が宣言された。1918年10月にポドゴリツァで開催されたポドゴリツァ議会英語版はニコラ1世の廃位とセルビアへの統合を宣言し、1918年12月1日にセルブ・クロアート・スロヴェーン王国の成立が宣言された。連合国全てがこの措置を承認したのは1922年のことである。

国王ニコラ1世はこの動きが不当であると王位を主張し続け、彼の宮廷は孫に当たるミハイロ・ペトロヴィチ(国王としての名はミハイロ1世)がユーゴスラビア王国を承認する1929年まで亡命政権として存続している。第二次世界大戦時にはモンテネグロを占領したイタリア王国によって傀儡政権としてのモンテネグロ王国の再建が検討された(イタリア支配下のモンテネグロ)。ミハイロは国王への就任を打診されたが拒否し、後に強制収容所に送られている。

2011年にモンテネグロ政府は伝統を維持するために、ペトロヴィチ=ニェゴシュ財団を設立し、代表である王家の当主に大統領と同じ給与を支払うなどの王家礼遇法を採択している[2]

歴代国王 編集

  • ニコラ1世(在位:1910年-1918年、ただし亡命政権において1921年に崩御するまで王位を主張し続けた)

亡命政権期の『国王』 編集

  • ニコラ1世(名目上の在位:1918年-1921年)
  • ダニーロ(王太子。ニコラ1世の死後王位継承権を返上する。:1921年3月1日-3月7日)
  • ミハイロ1世(名目上の在位1921年-1929年。1929年の成人後に王位請求権を放棄し、ユーゴスラビアを承認)

歴代首相 編集

亡命政権の首相 編集

脚注 編集

  1. ^ Constitution of the Principality of Montenegro, 1905, Article 40, "Paragraph 1: State religion in Montenegro is Eastern-Orthodox. Paragraph 2: Montenegrin Church is Autocephalous. It is independent from any other Church, but maintains dogmatic unity with Eastern-Orthodox Ecumenical Church. Paragraph 3: All other recognized religions are free in Montenegro.[1]
  2. ^ Analitika - Informativni Portal - Usvojen Zakon o statusu potomaka dinastije Petrović - Njegoš

関連項目 編集