モンフォール=ラモーリー

フランスのイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県のコミューン

モンフォール=ラモーリー (Montfort-l'Amaury)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

Montfort-l'Amaury

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) ランブイエ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 78420
郵便番号 78490
市長任期 エルヴェ・プランシュノー
2008年-2014年
人口動態
人口 3 138人
2010年
人口密度 550人/km2
住民の呼称 Montfortois
地理
座標 北緯48度46分38秒 東経1度48分33秒 / 北緯48.7772度 東経1.8092度 / 48.7772; 1.8092座標: 北緯48度46分38秒 東経1度48分33秒 / 北緯48.7772度 東経1.8092度 / 48.7772; 1.8092
標高 最低:98 m
最高:183 m
面積 5.71km2
Montfort-l'Amauryの位置(フランス内)
Montfort-l'Amaury
Montfort-l'Amaury
公式サイト www.ville-montfort-l-amaury.fr
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地理 編集

モンフォール=ラモーリーはパリの45km西にあり、ランブイエの18km北、モンフォール=ラモーリー平野の南部に位置する。ランブイエの森の北にある丘陵地帯である。

交通 編集

  • 道路 - 県道が7本通じている
  • 鉄道 - モンフォール=ラモーリー-メレ駅。トランジリアンN線が通じる。所在地は隣のコミューン、メレにある。

歴史 編集

 
モンフォール城のダンジョンの廃墟。下に写る尖塔のある家はラヴェル博物館。
 
サン・ローラン通りの中世の門から教会をのぞむ

モンフォール=ラモーリーとは、領主アモーリー1世に由来する。

フランス王ロベール2世は、996年にモンフォールの丘に城を建てた。

モンフォール=ラモーリーは、領主ギヨーム時代の11世紀初頭からモンフォール家の牙城であった。彼の息子であるアモーリー1世が現在も名残をとどめる城壁を建設した。

モンフォール=ラモーリー領は、シモン・ド・モンフォールの息子の同意を得て伯領となった。百年戦争中に城はイングランド軍に破壊されている。

1292年、モンフォール家はヨランドブルターニュアルテュール2世へ嫁がせたことで、ブルターニュ公国とのつながりを持つことになった。1547年、女公アンヌの直系の嫡孫アンリ2世がフランス王位について、ブルターニュ公国はフランス王領になった。

フランス革命時代、一時的にコミューンはモンフォール=ル=ブリュテュス(Montfort-le-Brutus)と改名されていた。

1899年から1977年まで、まちではパルドン祭りが開催されていた。

間接的にモンフォール=ラモーリーは、イギリス、レスターにあるドゥ・モントフォート大学(en)の語源となっている。大学名は13世紀に生きた第6代レスター伯でモンフォール=ラモーリー家出身のシモン・ド・モンフォールからとられているからである。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
1887 2074 2319 2566 2651 3137 3076

参照元:1962年以前EHESS[1]、1968年以降INSEE[2][3]

ゆかりの人物 編集

 
モーリス・ラヴェル博物館
  • モーリス・ラヴェル - 16年あまりにわたってモンフォール=ラモーリーに居住。晩年を過ごした家「ベルヴェデーレ(fr:Le Belvédère)」は現在モーリス・ラヴェル博物館として見学が可能である[2][4]。また、毎年10月に「ラヴェルの日」というイベントを開催している,[5]

姉妹都市 編集

脚注 編集