ヤコブ・クリストマンドイツ語: Jakob Christmann1555年11月 - 1613年6月)は、ドイツ天文学者東洋学者

Note by Christmann in the De revolutionibus manuscript, 1603

生涯 編集

ユダヤ人であったが、1578年以前にキリスト教に改宗している。ルプレヒト・カール大学ハイデルベルクコレギウム・サピエンティアエ東洋学を学び、ディオニジアヌムの教師となった。その後バーゼルヴロツワフウィーンプラハで修学した。

1582年にカシミリアヌムの教員となり、アラビア語の文法書『Alphabetum arabicum』を同校の教授らに進呈した。のちにハイデルベルクに戻り、1584年にコレギウム・サピエンティアエの教授となり、同校のヘブライ語教授に任命された。

1551年以降ハイデルベルク城にあった、ギヨーム・ポステルの著書の写本の目録を作成し、1590年にはファルガーニーの天文学に関する著書のラテン語版を出版した。

1609年にはフリードリヒ4世の要請により、ヨーロッパで2人目のアラビア語教授に任命された。58歳で死去した[1]

 
Tractatio geometrica de quadratura circuli, 1595

脚注 編集

  1. ^ Hockey, Thomas (2009). The Biographical Encyclopedia of Astronomers. Springer Publishing. ISBN 978-0-387-31022-0. http://www.springerreference.com/docs/html/chapterdbid/58284.html 2012年8月22日閲覧。 

活動 編集

  • Alphabetum Arabicum cum isagoge Arabice legendi ac scribendi, Neustadt 1582
  • Muhammedis Alfraganii Arabis chronologia et astronomiae elementa, Frankfurt 1590

外部リンク 編集