ヤロスラフ・シルハヴィー

ヤロスラフ・シルハヴィーJaroslav Šilhavý,チェコ語発音: [ˈjaroslaf ˈʃɪlhaviː]1961年11月3日 - )は、チェコ (旧チェコスロバキア)・プルゼニ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。元チェコスロバキア代表。2018年よりチェコ代表監督を務める。

ヤロスラフ・シルハヴィー
2019年のシルハヴィー
名前
ラテン文字 Jaroslav Šilhavý
基本情報
国籍  チェコ
生年月日 (1961-11-03) 1961年11月3日(62歳)
出身地 プルゼニ
選手情報
ポジション DF
ユース
1967-1975 チェコスロバキアの旗 TJホテショフ
1975-1978 チェコスロバキアの旗 ČSADプルゼニ
1978-1979 チェコスロバキアの旗 シュコダ・プルゼニ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1980 チェコスロバキアの旗 シュコダ・プルゼニ 8 (0)
1980-1990 チェコスロバキアの旗 RHヘプ 243 (9)
1990-1994 チェコスロバキアの旗 スラヴィア・プラハ 83 (3)
1994-1997 チェコの旗 ドルノヴィツェ 69 (8)
1997-1999 チェコの旗 ヴィクトリア・ジシュコフ 62 (5)
通算 465 (25)
代表歴
1980-1988  チェコスロバキア U-21 18 (0)
1990-1991 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 4 (0)
1992 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア B 1 (0)
監督歴
2005-2007 チェコの旗 スパルタ・プラハB
2007-2008 チェコの旗 クラドノ
2008 チェコの旗 ヴィクトリア・プルゼニ
2001-2009 チェコの旗 チェコ (アシスタント)
2009-2011 チェコの旗 ディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ
2011-2014 チェコの旗 スロヴァン・リベレツ
2014-2015 チェコの旗 バウミト・ヤブロネツ
2016 チェコの旗 ドゥクラ・プラハ
2016-2017 チェコの旗 スラヴィア・プラハ
2018- チェコの旗 チェコ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

選手経歴 編集

クラブ 編集

現役時代は、主にディフェンダーとしてプレーした。1979-80シーズンのチェコスロバキア1部リーグにて、TJシュコダ・プルゼニの選手としてキャリアをスタートさせ、1980-81シーズンから同じく1部リーグ所属のRHヘプへと移籍。同クラブで約10シーズンをプレーし、1989-90シーズンの冬にSKスラヴィア・プラハへと移籍した。

スラヴィア・プラハでは、1992-93シーズンにリーグ準優勝を経験するなど、充実したシーズンを送っていたが、1993-94シーズン終了後にクラブを退団してペトラ・ドルノヴィツェでキャリアを継続させることを選択した。ドルノヴィツェに3シーズン所属した後、首都プラハをホームタウンとするクラブであるFKヴィクトリア・ジシュコフに加入。キャプテンとして2シーズンの間クラブをまとめ[1]、1998年にはチェコ1部リーグの年間MVPに選出された[2]

代表 編集

U-21チェコスロバキア代表として8年もの間招集され、後年にはオーバーエイジ枠での出場もあった。

1990年8月29日、フィンランド代表との親善試合にてチェコスロバキア代表での初キャップを刻んだ。しかし、同代表ではメジャー大会への出場は叶わず、代表4試合目となった1991年3月27日のポーランド代表戦が代表ラストマッチとなった。

指導者経歴 編集

現役引退後、いくつかの国内クラブでアシスタントコーチを務め、2001年からはチェコ代表にて智将カレル・ブリュックナー監督の右腕としてUEFA EURO 20042006 FIFAワールドカップUEFA EURO 2008といった大舞台を経験した[3]

経験を積んだ2007年、チェコ1部リーグSKクラドノの監督に就任した[4]。クラブをなんとかリーグ14位で残留に導いたが、1シーズンで契約満了となった。

2011年6月、FCスロヴァン・リベレツの監督に就任[5]。2011-12シーズン、国内の強豪クラブを抑えてチェコ1部リーグ優勝を果たし、2013-14シーズンにはUEFAヨーロッパリーグでクラブをベスト32に導いた。

2018年9月18日、チェコサッカー協会よりチェコ代表の監督に就任することが発表された[6]UEFA EURO 2020予選を勝ち抜き、迎えたUEFA EURO 2020では、グループステージを3位で突破[7]。ベスト16ではオランダ代表と対戦したが、52分のオランダ代表DFマタイス・デ・リフトの一発退場もあって、2-0で勝利を収めた。しかし、ベスト8でデンマーク代表の前に敗れ、大会敗退が決定した。

人物 編集

  • 現役時代、あまりにも激しい守備を行うことが多く、チェコ1部リーグにおける歴代最多レッドカード記録を保持している[8]
  • 2018年から指揮を執るチェコ代表では、チームにハードワークとハイプレスをベースにした戦術を落とし込み、UEFA EURO 2020で大会ベスト8の成績を残した[8]

出典 編集

  1. ^ Na Žižkově vystřídá Uličného Ščasný” (チェコ語). Mladá fronta DNES (1999年9月27日). 2012年11月13日閲覧。
  2. ^ (チェコ語) Historie ankety Fotbalista roku - ČMFS website
  3. ^ U Chovance jsem býval malý Brückner, vzpomíná liberecký trenér Šilhavý” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2011年9月21日). 2022年8月11日閲覧。
  4. ^ Šilhavý podepsal v Kladně roční smlouvu s opcí” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2007年6月7日). 2022年8月11日閲覧。
  5. ^ Liberec našel náhradu za trenéra Radu: ambiciózní tým povede Šilhavý” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2011年6月6日). 2022年8月11日閲覧。
  6. ^ Jaroslav Šilhavý neuer tschechischer Nationaltrainer” (2018年9月18日). 2022年8月11日閲覧。
  7. ^ 3位でEURO決勝T進出も…チェコ代表指揮官は満足感示す「タフなグループでよくやった」”. サッカーキング (2021年6月23日). 2022年8月11日閲覧。
  8. ^ a b 中野吉之伴 (2021年7月7日). “崩壊寸前からの鮮烈な復活劇 スター不在で華麗さもなく、チャンスメイクも不得手なチェコはなぜEUROで躍進できたのか?”. Number. 2022年8月11日閲覧。

外部リンク 編集