ヤン・ヘンドリック・ヴォルカース(Jan Hendrik Wolkers、1925年10月26日 - 2007年10月19日)は、ウフストヘーストに生まれ、テセルに没した、オランダ著作家彫刻家画家

ヤン・ヘンドリック・ヴォルカース
ヤン・ヴォルカース、1995年撮影。
誕生 (1925-10-26) 1925年10月26日
オランダの旗 オランダ ウフストヘースト
死没 2007年10月19日(2007-10-19)(81歳)
オランダの旗 オランダ テセル
職業 著作家彫刻家画家
国籍 オランダの旗 オランダ
活動期間 1961年2007年
ジャンル 小説
署名
ウィキポータル 文学
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1968年、アムステルダム でのデモに参加したヴォルカース。
ヴォルカースが手がけた、テオ・テイセンオランダ語版記念碑。ガラスを多く用いた作例。
1974年、自著を手にしたヴォルカース。

第二次世界大戦後のオランダの文学においては、ウィレム・フレデリック・ヘルマンス英語版ハリー・ムリシュヘラルド・レーフェ英語版の3人が三大作家と称されるが、一部の論者は、これにヴォルカースを加えて四大作家と称している[1]

彼のオランダ語の姓は、日本語では「ウォルカース」ないし「ウォーカース」とも音写され得るが、彼の小説を原作とする映画の日本版ソフトでは「ヴォルカース」の表記が用いられている[2]

概要 編集

ヴォルカースは1960年代に、生々しい性描写を得意とする作家として知られるようになったが、しばしば論争の的にもなった[3][4][5]1969年に発表した小説Turks Fruit』は、10ヶ国語に翻訳され、英語では『Turkish Delight』と題して出版された。またこの作品は、大ヒット映画の原作となり、ポール・バーホーベン監督1973年の映画危険な愛(サディスト 愛欲の囁きは破滅の匂い)』は、第46回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされ[6]、後には1999年に、世紀最高のオランダ映画に選ばれた[7]

ヴォルカースは、いくつかの文学賞を辞退してきた。1982年には、コンスタンティン・ホイヘンス賞英語版1989年にはP・C・ホーフト賞英語版を辞退している。

1980年以降、死去するまで、ヴォルカースは、オランダの島テセルに住んでいた。彼は、2007年10月19日に、テセルの自宅において、81歳で死去し、アムステルダム火葬され、デ・ニューエ・オースター墓地オランダ語版に葬られた。

屋外に設置されていた彼の彫刻作品の多くは、ヴァンダリズムによる破壊行為の被害に遭ったが、これはおそらく、素材としてガラスを多用していたことが一因であった。その例として、アムステルダムのアウシュヴィッツ記念碑[8]や、テセルのセレス (Ceres) の堤防上に置かれた記念碑などが挙げられる。記念碑などの作品が破壊されたことを受け、ヴォルカースは2003年に、記念碑の制作にあたる場合、今後はガラスの使用を減らし、鋼鉄の使用を増やすと述べた。 実際、テセルに設置されたヤコブス・ピーテル・タイセ英語版の記念碑は、それまでより多くの鋼鉄が使用されていたが、依然としてガラスも作品のかなりの部分に使用されていた。

ヴォルカースは死去する数ヶ月前に、文学ジャーナリストのオンノ・ブロム英語版に、自分の電気を書く許可を与えていた[9]。こうして書かれた『Het litteken van de dood. De biografie van Jan Wolkers verscheen』(題名は「死の傷:ヤン・ヴォルカースの伝記」の意)は、2017年に出版され、翌年のオランダ伝記賞オランダ語版を受賞した[10]

2019年以降、ヤン・ヴォルカースの私生活や文学創作に関するアーカイブライデン大学図書館英語版で公開されている[11][12]

おもな著作 編集

オランダ語版「nl:Jan Wolkers」に詳細な著作リストがある。以下はおもなもののみ。

小説 編集

ヴォルカースの作品を原作とする映画 編集

脚注 編集

外部リンク 編集