ユナイテッド・ステーツ (客船)

ユナイテッド・ステーツ(SS United states、)は、ユナイテッド・ステーツ・ライン(英語版)(USL)が運行していた客船。

ユナイテッド・ステーツ
係留中のユナイテッド・ステーツ
2009年9月、フィラデルフィアで撮影
基本情報
船籍
所有者 ユナイテッド・ステーツ・ライン
建造所 ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ
母港 ニューヨーク
建造費 7940万米ドル(当時)[1]
経歴
進水 1951年6月23日[2]
竣工 1952年
除籍 1969年
その後 複数の船主の手を経てフィラデルフィアに係留中
2011年よりSS United States Conservancy保有
要目
総トン数 53,329トン
全長 990フィート ( 301.75m[2] )
全幅 101フィート ( 30.94m[2] )
型幅 30.94m[2]
デッキ数 12
機関方式 フォスター・ホイーラーウェスティングハウス 蒸気タービン 8機
出力 240,000馬力[2]
(公試では247,785馬力を記録)[2]
速力 35.6ノット[2]
(約 65.93 km/h ブルーリボン賞受賞時)
38.32ノット[2]
(約 70.97 km/h 公試記録速度)
旅客定員 1972名[2]
乗組員 1044人[2]
テンプレートを表示

就役後、本船はUSLのフラッグシップをつとめることとなった。また、本船がブルーリボン賞を受賞したことにより、これまでヨーロッパの船舶が独占していたブルーリボンを10年ぶりに更新することとなった。本船の記録は1990年に東回り航路を塗り替えられたが、西回り航路の記録は未だに保持している。

ユナイテッド・ステーツは同船を所有していたユナイテッド・ステーツ・ラインが貨物輸送専業となった事により1969年に営業を停止、1996年以降はフィラデルフィアドック係留されたままになっている。

船歴 編集

建造 編集

1939年9月に勃発した第二次世界大戦中、イギリスの客船クイーン・メリークイーン・エリザベスイギリス海軍に徴用され、数百人から数千人の兵士をイギリス連邦諸国やアメリカ合衆国との間を輸送するとともに、軍事物資の運送に当たっていた。1941年12月に連合国の1国としてイギリスの後を追って参戦したアメリカ政府は、これらのイギリスの徴用客船で大型高速客船の有用性を認識し[2]、多数の兵士を輸送可能な船舶を建造することを決定した。

設計はフレッチャー級駆逐艦リバティ船やUSLの客船「アメリカ」など数々のアメリカ船舶を手がけてきた著名な技師のウィリアム・フランシス・ギブス(William Francis Gibbs)に依頼し[2]、建造はアメリカ海軍とUSLの共同で行うこととなった。この船舶の建造費7,800万ドルのうち5,000万ドルをアメリカ政府が援助し[2]、残りの2,800万ドルをUSLが負担することとなった。さらにこの船舶は容易に輸送艦に改装でき、15,000名の兵士を輸送できるように設計され、必要に応じて病院船に転用することも可能であった。

1945年8月に第二次世界大戦は終結したものの、ユナイテッド・ステーツは1950年-1952年にかけて、ニューポート・ニューズ造船所(現ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ)の乾ドックで建造された。朝鮮戦争が行われている最中の上に、冷戦に突入していた状況であることもあり、有事の際には軍艦として徴用される計画があったため、ユナイテッド・ステーツは攻撃を受けても沈みづらい海軍仕様で建造された。

また、火災の被害を最小限に抑えるため、内装や調度品には木製の部品が一切使用されておらず、船内の設備や家具類にはガラスや金属など、耐火性に優れた材料が使用され、客室の洋服ハンガーまでアルミニウム合金製を用いた。また合成繊維ダイネルやアスベストを含む発泡板等の新素材も用い[2]、これにより本船は海軍の耐火基準を満たすことができた。木製だったのはビルジキールギャレーの一部、ラウンジに置かれた不燃加工を施したマホガニー材を用いたグランドピアノのみとなった[2]

船体のほとんどをアルミ合金で作られており、鋼鉄の下層部とアルミの上層部を接合するために特殊な技術が使われた。また、アルミを使用したことで大幅な軽量化にも成功した。ユナイテッド・ステーツはパナマ運河を通過できるパナマックスであったが、船体の幅が105フィート(32m)であったため、運河の通過時には壁との隙間が2フィート(0.6m)しかなかった。

ユナイテッド・ステーツは当時最も馬力のあるエンジンを積んでいたため、後進の速度が20ノット(37.04 km/h)を超え、航続距離が10,000マイル(18,520km)に伸びた。

就航 編集

1952年7月4日、本船はアメリカ側の灯台船アンブローズ(Lightship Ambrose)を起点にイギリス側のビショップ・ロックの間を3日10時間40分、平均速力35.59ノット(約65.91 km/h)で横断し[2]、14年前のクイーン・メリーの記録を10時間以上上回った。また復路(西回り航路にあたる)では、3日12時間12分、平均速力34.51ノット(約63.91 km/h)という記録を打ちたて[2]、西回り・東回り航路両方のブルーリボン賞を獲得し、就役後も巡航速力30ノット(約55.56 km/h)を17年間維持した。この記録から本船は「キュナード・ラインクイーン・メリークイーン・エリザベスのライバルにふさわしい船舶だ」と評価された。

しかし本船の最高速力については故意に誇張され、何年間もそれが信じられてきてしまったという問題がある。速力のテストが終了した後の記者会見で、エンジニアたちは、本船の最高速力はを(実際ではありえない)43ノット(約79.63 km/h)であると発表し、1977年に実際の速力が38.32ノット(約70.93 km/h)[2]であるということが発表されるまで信じられてきてしまった。一般的に、プレーニングの無い排水型の船では、単胴の船体と通常のプロペラスクリュー)の組み合わせの場合、40ノット付近が限界速度といわれており、これを超える高速船には特別な工夫が施されている。

退役 編集

1940年代後半には、ダグラス DC-6ロッキード コンステレーションなどの大型旅客機が大西洋横断路線に就航し、さらに1958年には、大型ジェット旅客機のボーイング707が就航しロンドン-ニューヨーク間を6時間程度で結ぶとともに、運賃も低下したことにより、1960年代に入りユナイテッド・ステーツをはじめとする大西洋横断定期船の乗客は急激に減り、後に北大西洋航路横断の定期運航は停止されてしまうことになった。

1969年に定期点検を受けた際、所有する海運企業が本船の営業停止を決定させ、しばらくの間ニューポート・ニューズに係留されていた。数年後にはノーフォークに移動させられ、以降複数の船主の手に渡ることとなる。最初はタイムシェア形式で売却され、オークションを経て連邦海事局に渡った。当時はベトナム戦争が行われていた上に、ユナイテッド・ステーツは有事の際には軍艦として改装できるように設計されていたため、輸送船や病院船への転用の計画があったが、結局実現することはなかった。

1984年に船の家具類が売却され、ノースカロライナ州レストランにおさまった(現在、家具類は同店のレストラン・バー・ラウンジルームのテーブルや椅子として使用中)。1992年には新しい船主の手にわたり、トルコウクライナに曳航されたのち、アスベスト除去を行った。最終的にはフィラデルフィアのデラウェア河畔に移され、1996年以来ここに係留されている[2]>。ユナイテッド・ステーツはペンシルベニア州州間高速道路95や、コロンバス通りに面した店イケアから臨むことができる。またマンガン青銅製のスクリュープロペラはニューヨークのピア76地区やアメリカ商船博物館等に展示されている[2]

ブルーリボン賞についても、東回り航路は1990年ホバースピード・グレートブリテンに奪われたが、西回り航路での記録は未だに保持している。

1999年には、本船の保存に携わっていたユナイテッド・ステーツ財団とユナイテッド・ステーツ協会の働きかけにより、国定歴史建造物に指定されている。2003年には大手クルーズ企業の一つ、ノルウェージャン・クルーズラインが同船買収・取得した。同社では何度かクルーズ船への現役復帰を計画したが、船体内部に大量に使用されているアスベストの処理の問題や復帰に伴う各種機関修復の困難さ、同社の財務状況などの要因から実現には至っていない。2009年には、NCLは同船の売却を検討していると伝えられた。その後同年以降は設計を担当したギブスの孫娘にあたるスーザン・ギブスが代表を務める保存団体「SS United States Conservancy」(SSUSC)が管理し救済資金を集める状況となっている[2]

2016年2月にはクリスタル・クルーズが本船の購入計画を発表し、伝統を引き継ぎながら最新技術を盛り込んだ改装を施しての再就航計画としたが[3][4]、同年8月に現在の安全基準に対応するための大幅な改造の必要性を理由に購入を断念し、クリスタルクルーズはSSUSCに35万ドルの寄付を行うとした[5]

2017年5月からは、SSUSCが博物館や複合施設への改修を図るべく「We are the United States」キャンペーンを開始し50万ドルを目標に資金調達を行っている[6]

2018年12月には、ニューヨークで不動産投資を手掛けるRXRリアルティ(RXR Realty)がマンハッタン57番埠頭(Pier_57)に係留した上でホテルやイベントスペースとしての再利用に向けた調査をSSUSCに依頼したことが報じられている[7][8]

ギャラリー 編集

参考文献 編集

  •  野間恒:著「有名客船物語 ユナイテッド・ステーツ/アメリカ」『世界の艦船』414号、1989年

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ Ujifusa, Steven (July 2012). A Man and his Ship. New York: Simon & Schuster. p. 222. ISBN 978-1-4516-4507-1. http://www.stevenujifusa.com/ 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 就航から70年米客船「ユナイテッド・ステーツ」を偲ぶ - 世界の艦船2022年9月号(海人社)
  3. ^ Crystal Cruises Announces Plans to Restore America’s Flagship, The SS United States, to a Modern Luxury Cruise Ship - Crystal Cruises(2016年2月4日)
  4. ^ “強きアメリカ”象徴の船、復活か いまだ“最速”の称号持つ64歳 - 乗りものニュース(2016年3月5日)
  5. ^ Crystal Cruises Decides Not to Purchase and Restore S.S. United States - Cruisecritic(2016年8月8日)
  6. ^ SS United States Gets Last-Minute Reprieve - TRAVEL AGENT CENTRAL(2017年7月19日)
  7. ^ 内外商船ニュース 「ユナイテッド・ステーツ」保存へ動き - 世界の艦船2019年4月号
  8. ^ SS United States Conservancy Inks Deal with RXR Realty - Cruise Industry News(2018年12月10日)

関連項目 編集

  • ミレニアム級 - 2番船「セレブリティ・インフィニティ」に本船をモチーフとした有料レストラン「S.S. UNITED STATES」が存在した。

外部リンク 編集

記録
先代
クイーン・メリー
ブルーリボン賞 (船舶) (西回り航路)保持船舶
1952年~現在
次代
無し
ブルーリボン賞 (船舶) (東回り航路)保持船舶
1952年~1990年
次代
ホバースピード・グレートブリテン