ユリア・ハルトヴィク(Julia Hartwig, 1921年8月14日 - 2017年7月14日[1])はポーランド女流詩人エッセイスト劇作家翻訳者外交官ドイツ系を持つが、読みは「ハルトヴィヒ」でなく、ポーランド語発音規則によって「ハルトヴィク」となる。多数の著作で知られ、ポーランドで最も人気のある作家の一人である。

生涯 編集

父ルドヴィク・ハルトヴィクと母マリア(旧姓ビリュコヴァ)との間にルブリンで生まれる。第二次世界大戦の間はポーランド国内軍(AK)に所属してナチス・ドイツに対する抵抗運動を行い、主に文芸方面で活躍。1942年からワルシャワ大学の地下秘密授業に通って勉学を続け、1944年のワルシャワ蜂起後に一旦中断したのち、戦後の1946年にワルシャワ大学を卒業、その後ルブリンのカトリック大学社会人入学をし卒業。1947年にパリに渡り、フランス政府とポーランド大使館文化部で働いた。のちワルシャワに戻り、1952年から1969年までポーランド国営ラジオ局の放送作家としてラジオドラマを中心に多数の作品を製作、国民的人気を獲得する。

1970年から1974年にかけて夫アルトゥール・ミェンジジェツキと共にアメリカに居住、ドレイク大学英語版で教鞭をとる。1971年にはカナダオタワ大学、73年にはカールトン大学でも講義を行った。1979年にはアメリカ国務省の招きで再度アメリカに居住。

1989年、ワレサ大統領の諮問機関「市民委員会」のメンバーに就く。

著作は世界各国で翻訳出版されている。晩年はワルシャワに居住。

脚注 編集