ユルィヨ・バイサラ

フィンランドの天文学者、物理学者 (1891-1971)

ユルィヨ・バイサラ(Yrjö Väisälä,1891年9月6日 - 1971年7月21日)は、フィンランド天文学者である。現在の北カルヤラ県コンティオラハティ英語版ウトラフィンランド語版(現在のヨエンスー)出身。姓はヴァイサラとも表記する。兄は気象学者ヴァイサラ社の創業者ヴィルホ・ヴァイサラ1889年-1969年)、弟は数学者のカッレ・ヴァイサラ1893年-1968年)。

ユルィヨ・バイサラ(1950年代初頭)

人物 編集

バイサラは光学機器の分野で貢献した。光学要素の性能を測定する方法を改良し、初期の高性能なシュミット式望遠鏡のいくつかを製作した。シュミット式望遠鏡の発明者の一人とされることもある。バイサラの製作したシュミット式望遠鏡はトゥルク大学で使われ、小惑星や彗星の探査に用いられた。

128個の小惑星の発見者であり[1]周期彗星の40P/バイサラ彗星を発見し、139P/バイサラ・オテルマ彗星の発見者の一人である。リイシ・オテルマを始めとする彼のグループは800個以上の小惑星を発見した。

彼の業績を記念して月のクレータと小惑星(1573)バイサラに彼の名前がつけられている[2]。また、バイサラは自ら発見した2802番の小惑星に父ヴェイセルの名を[3]、そしてオテルマが発見した2803番から2805番の小惑星に兄ヴィルホ[4]自分自身[5]、そして弟カッレの名[6] を付けた。

バイサラは、兄弟と共に熱心なエスペランティストでもあった。1968年には国際エスペラント科学者連盟(Internacia Scienca Asocio Esperantista)の総裁を務めた。また、自分で発見した小惑星に(1421)エスペラント[7]、(1462)ザメンホフ[8] と命名している。

関連項目 編集

脚注 編集