ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー

ボヘミア系とされるドイツの作曲家

ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー(Johann Caspar Ferdinand Fischer, 1656年9月6日[注釈 1] - 1746年8月27日)は、ドイツ盛期バロック音楽の作曲家。

ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer
生誕 (1656-09-06) 1656年9月6日
クラースノチェコ語版(ドイツ語名シェーンフェルト)
死没 (1746-08-27) 1746年8月27日(89歳没)
ラシュタット

どうやらボヘミア系であったらしいが、生涯については大まかなことしか分かっていない。最初の作品は1682年に出版され、1690年までにはザクセン=ラウエンブルク公宮廷楽長となっていた。ついで1695年までにバーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの宮廷楽長になり、ラシュタットにて没するまでその地位にあった。

フィッシャーの作品のほとんどは、たとえば管弦楽組曲『春の日誌Le journal du printems 』(1695年)が示しているように、ジャン=バティスト・リュリによって実現されたフランスバロック音楽の影響を示している。

20曲のプレリュードフーガおよび5曲のリチェルカーレからなるオルガン曲集『アリアドネ・ムジカ 』(1702年出版[注釈 2])は、19の調性とホ調のフリギア旋法が使われており、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の重要な先駆的作品とみなされている[1][2]。『平均律クラヴィーア曲集』の中には、『アリアドネ・ムジカ 』のフーガの主題をそのまま借用したようなものも見られる[1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1662年頃という記述も見られる[1]
  2. ^ 1713年という記述も見られる[2]

出典 編集

  1. ^ a b c 皆川 2006, pp. 236–239.
  2. ^ a b ミヒェルス 1989, pp. 311.

参考文献 編集

  • 皆川達夫『バロック音楽』講談社、2006年3月10日。ISBN 4-06-159752-3 
  • ウルリヒ・ミヒェルス、角倉一朗 (日本語版監修)、片桐功、庄野進、土田英三郎、寺本まり子、西原稔、森泰彦『カラー 図解音楽事典』白水社、1989年11月10日、311頁。ISBN 978-4--560-03686-0 
  • Moritz Fürstenau (1877), “Fischer, Johann Caspar Ferdinand” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 7, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 73 
  • Lothar Hoffmann-Erbrecht: Fischer, Johann Caspar Ferdinand. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 5, Duncker & Humblot, Berlin 1961, ISBN 3-428-00186-9, S. 190 (電子テキスト版).

外部リンク 編集