ライムンド・デ・ボルゴーニャ

ライムンド・デ・ボルゴーニャ(Raimundo de Borgoña, 1070年頃 - 1107年5月27日)は、後のカスティーリャ女王ウラカの最初の夫。ブルゴーニュ伯ギヨーム1世の息子で、フランス名はレーモン・ド・ブルゴーニュ(Raymond de Bourgogne)。ガリシア伯、ポルトゥカーレ伯コインブラ伯。兄に伯位を継いだルノー2世エティエンヌ1世が、弟にローマ教皇カリストゥス2世が、また姪にフランスルイ6世の王妃アデル・ド・サヴォワがいる。

ライムンド・デ・ボルゴーニャ
Raimundo de Borgoña
ガリシア伯
ポルトゥカーレ伯
コインブラ伯
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂所蔵の写本に描かれたライムンド

出生 1070年
死去 1107年5月27日
配偶者 ウラカ・デ・カスティーリャ
子女 サンチャ
アルフォンソ
家名 アンスカリ家
父親 ブルゴーニュ伯ギヨーム1世
母親 エティエンネット
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生涯 編集

1087年にカスティーリャ王アルフォンソ6世の娘であるウラカと結婚し、1095年にガリシア伯に叙せられた。ウラカとの間には1男1女が生まれた。

ライムンドが1107年に死去した後、ウラカは2度再婚した。また、アルフォンソ6世の男子が早世していたことから、1109年にウラカが王位を継いだ。ウラカの死後はライムンドとの間の息子アルフォンソ7世が即位し、ボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝を興した。

ポルトゥカーレ及びコインブラ伯の地位は、1096年にアルフォンソ6世の別の女婿であるエンリケ・デ・ボルゴーニャ(ウラカの異母妹テレサの夫)が継承した。