ラフクエスト (Rough Quest) はイギリスで生産、アイルランドおよびイギリスで調教された競走馬1996年グランドナショナルに優勝した。

ラフクエスト
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1986年1月1日
死没 2016年[1]
クラッシュコース
アワークエスト
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 マイケル・ヒーリー
馬主 A.Wates
調教師 Michael Nevin
T.Etherington
T.Casey
競走成績
生涯成績 38戦8勝
獲得賞金 232,261ポンド
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戦績

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デビューしたのはアイルランドで1991年1月に行われたナショナルハントフラットレース。2戦したあとにイギリスに移った。ここでノービスチェイスを連勝して1992年G1サンアライアンスチェイスに出走したが、ミネホーマの4着に敗れる。その後の数年は善戦するものの勝ちきれないレースが続いたが、1995年3月のナショナルハントチェイスで優勝すると続くG2競走でもトップハンデで優勝する。

そして1995/1996シーズンはヘネシーコニャックゴールドカップを2着、G3レーシングポストチェイスで優勝するなど大レースで活躍し、チェルトナムゴールドカップに向かう。ここでは10頭立ての5番人気という評価だったが、道中他馬の落馬の不利を受けながらも後方から脚を伸ばし、優勝したインペリアルコールから4馬身差の2着に健闘した。

その2週間後にラフクエストはグランドナショナルに出走した。ハンデは10ストーン7ポンド(約66.7キログラム)となり、単勝8倍の1番人気に推された。レースでは中段の外を追走し、2周目の後半からじょじょに進出、そして最後の直線で先頭に立っていたアンコールアンプーをかわして優勝した。勝ちタイムは9分0秒8。出走馬27頭中17頭が完走した。1番人気の優勝は1982年のグリッター以来14年ぶりのことだった。

翌1996/1997シーズンは12月のキングジョージ6世チェイスで2着となったあとに故障により残りのシーズンを休養し、1997/1998シーズンはチェルトナムゴールドカップで転倒、グランドナショナルも11ストーン4ポンド(約71.7キログラム)で出走したが完走することはできなかった。1999年はグランドナショナルに出走せずに同じコースを使用するフォックスハンターチェイスに出走して転倒により競走中止。これを最後に引退した。

おもな勝ち鞍

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  • ナショナルハントハンデキャップチェイス(1995年)
  • キャッスルマーチンハンデキャップチェイス (G2) (1995年)
  • レーシングポストチェイス (G3) (1996年)
  • グランドナショナル (G3) (1996年)

血統表

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ラフクエスト血統ブランドフォード系 / アウトブリード (血統表の出典)

Crash Course
1971 鹿毛
父の父
Busted
1963 鹿毛
Crepello Donatello II
Crepuscule
Sans Le Sou *Vimy
Martial Loan
父の母
Lucky Stream
1956 鹿毛
Persian Gulf Bahram
Double Life
Kypris Victrix
Phinoola

Our Quest
1980
Private Walk
1967
Pall Mall Palestine
Malapert
La Brigantine Astrophel
Diaconesse
母の母
Corda
1972
Current Coin Hook Money
Frances
Lama Arctic Storm
Goggles F-No.11-a


脚注

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外部リンク

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