ラヴィニア・フォンターナ

ラヴィニア・フォンターナ: Lavinia Fontana, 1552年8月24日 - 1614年8月11日)は、イタリア画家

ラヴィニア・フォンターナ
『自画像』(1600年頃)
ウフィツィ美術館
本名 Lavinia Fontana
誕生日 (1552-08-24) 1552年8月24日
出生地 ボローニャ
死没年 1614年8月11日(1614-08-11)(61歳)
死没地 ローマ
国籍 イタリアの旗 イタリア
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『服を着るミネルヴァ』(1613年)油彩、カンヴァス/ローマ、ボルゲーゼ美術館

生涯 編集

画家プロスペロー・フォンターナの娘としてボローニャに生まれた。父プロスペローはボローニャ派のリーダー的画家で、ラヴィニアの師匠でもあった。

ラヴィニアの最も初期の作品として知られているのは『猿の子供』で、1575年、ラヴィニア23歳の時に描かれたものである。この絵は現在失われているが、1576年に描かれた『キリストと受難のシンボル』は現在テキサス州のエル・パソ美術館にある。ラヴィニアは様々なジャンルで絵を描き続けた。活動をはじめた初期は、ボローニャの上流階級の肖像画家として有名だったが、男性・女性の裸体画や、大きな宗教画も描いていた。

1577年、ラヴィニアは25歳でジャン・パオロ・ザッピ(Gian Paolo Zappi)[1]と結婚した。11人の子宝に恵まれたが、ラヴィニアより長生きできたのは3人しかいなかった。ラヴィニアは家計を支えるため絵を描き続けた。その間、夫ザッピが家族の世話をし、さらにはカーテンのようなあまり重要でないものを描くなど、ラヴィニアの絵の助手をした。

1603年、ラヴィニアと家族はローマ教皇クレメンス8世の招きでローマに移り住んだ。そこでラヴィニアはローマ教皇グレゴリウス13世(1502年 - 1585年)の出身家系であるブオンコンパーニ家をパトロンに得た。ラヴィニアはボローニャ同様、ローマでも成功した。ラヴィニアの絵のモデルになった人々の中には、ローマ教皇パウルス5世もいた。ラヴィニアは1614年8月11日、ローマで亡くなった。

作品 編集

ラヴィニアの描いた肖像画のいくつかが高値で売買されることがあったが、それはグイド・レーニのものと間違われたからだった。『ヴィーナス』、『眠れる幼子イエスからベールを取る聖母』、『ソロモンを訪問したシバの女王』などである。ラヴィニアの自画像(若い頃はもっと美しかったと言われている)は彼女の最高傑作と言われている。現在この絵はラヴィニアの夫の出身家系である、イーモラのザッピ伯爵家が所有している。

ラヴィニアの若い頃の作風は父親とよく似ていた。しかし徐々に、ヴェネツィア風の強烈な色彩を持った、カラッチ家(アゴスティーノアンニーバレルドヴィコ)のような作風を取り込んでいった。

昔の文献にはラヴィニアの作品は100点を越えると書かれていたが、現在、署名と日付が確認できるのは僅か23点しかない。そのうち確実にラヴィニアのものとわかっているのは25点くらいである。しかし、それでも1700年以前の女流画家の中では最も多い数である。やはり女流作家のソフォニスバ・アングイッソラは、ラヴィニアの強い影響を受けた。

代表作 編集

 
『アントニエッタ・ゴンザレスの肖像』(1595年頃) ブロワ城美術館
  • 小間使いが伴奏するスピネットのある自画像(1577年)ローマ、国立サン・ルカ・アカデミー
  • 聖母の聖別 - マルセイユマルセイユ美術館。元々はボローニャのサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂Gnetti礼拝堂にあった。
  • 愛玩犬を抱く婦人の肖像(1595年頃)ボルチモアウォルターズ美術館
  • ジロラーモ・の肖像(1587年〜1590年頃)ボルチモア、ウォルターズ美術館
  • ノリ・メ・タンゲレ(私に触れてはいけない)(1581年)フィレンツェ、ウフィッツィ美術館
  • 聖ペトロ・クリソロゴ、カシアンと聖母被昇天(1584年)イーモラ市庁舎
  • Coozzadini家の肖像(1584年)ボローニャ、国立絵画館
  • 聖家族(1589年マドリード郊外エル・エスコリアル修道院
  • 聖母誕生 - ボローニャ、サンティッシマ・トリニタ教会
  • カップルの肖像(1580年 - 1585年)クリーブランドクリーブランド美術館
  • キリスト降架(1581年)Cornell Fine Arts[2]
  • 博士たちの中のイエス - ボローニャ、サン・ドメニコ聖堂、ロザリオ礼拝堂にある『ロザリオの奇跡』の一部

脚注 編集

  1. ^ ウィキペディアのイタリア語版はGiovan Paolo Zappi、英語版はPaolo Zappiになっているが、Zappi家のホームページ[1]にはこの名前で書かれている。

参考文献 編集

  •   この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Fontana, Lavinia". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 10 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 607.
  • Chadwick, Whitney (1990). Women, Art, and Society. London: Thames and Hudson 
  • Findlen, Paula. The Italian Renaissance. ISBN 0-631-22283-9 
  • Gaze, Delia. Concise Dictionary of Women Artists 
  • Harris, Anne Sutherland; Linda Nochlin (1976). Women Artists: 1550-1950. New York: Los Angeles County Museum of Art 
  • Smyth, Francis P.; John P. O'Neill (1986). The Age of Correggio and the Carracci: Emilian Painting of the 16th and 17th Centuries. Washington DC: National Gallery of Art. pp. pp. 132-136 
  • Murphy, C.P. (2003). Lavinia Fontana: A Painter and Her Patrons in Sixteenth-century Bologna. New Haven and London 
  • Hansen, Morten Steen; Joaneath Spicer, eds. (2005). Masterpieces of Italian Painting, The Walters Art Museum. Baltimore and London 

外部リンク 編集