リチャード・ウィルソン・ライリー

リチャード・ウィルソン・ライリー(英語:Richard Wilson Riley1933年1月2日 - )は、アメリカ合衆国政治家。第111代サウスカロライナ州知事、第6代教育長官を務めた。

リチャード・ウィルソン・ライリー
Richard Wilson Riley
生年月日 (1933-01-02) 1933年1月2日(91歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州グリーンビル
出身校 ファーマン大学
サウスカロライナ大学
所属政党 民主党
称号 文学士(ファーマン大学)
法学士(サウスカロライナ大学)
配偶者 アン・ヤーボロー・ライリー
子女 4人

在任期間 1993年1月21日 - 2001年1月20日
大統領 ビル・クリントン

在任期間 1979年1月10日 - 1987年1月14日
副知事 ナンシー・スティーヴンソン
マイケル・ローランド・ダニエル

在任期間 1967年1月10日 - 1977年1月11日
州知事 ロバート・マクネア
ジョン・カール・ウェスト
ジェームズ・バロウズ・エドワーズ
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生い立ちと初期の経歴 編集

1933年1月2日にサウスカロライナ州グリーンヴィル郡において誕生した。ライリーはグリーンヴィル高校を1950年に卒業し、1954年にファーマン大学を卒業した。ライリーは1954年から1955年までアメリカ合衆国海軍に所属し、掃海艇の通信士官を務めた。退役後は法律を学び、1956年まで連邦上院司法委員会で顧問を務めた。1956年からは父親が経営する法律事務所で働き、主にグリーンビルシンプソンビルを活動範囲とした。1959年にサウスカロライナ大学法科大学院を卒業した。

1962年にサウスカロライナ州下院議員に選出され、翌1963年から1966年まで州下院議員を務めた。ライリーは1967年から1976年まで同州上院議員を務めた。1978年同州知事選挙において、ライリーは民主党の候補者の1人として名前を挙げられた。民主党内での議論の結果、民主党はライリーを公認候補として擁立した。ライリーは1978年11月の本選挙において、共和党候補エドワード・ヤングと戦った。総投票数の61.4パーセントの票を獲得したライリーは、第111代州知事に当選した。

サウスカロライナ州知事 編集

1979年1月10日にサウスカロライナ州知事に就任した。1980年の憲法改正を経て、新憲法下で実施された1982年州知事選挙でも再選を果たした。1987年1月まで、州知事を2期8年務めた。ライリーは州知事在任中、州内における核廃棄物の輸送を監視する核査察機関を創設した。これは1979年3月に発生したスリーマイル島原子力発電所事故を受けての対応であった。またライリー政権下の1983年、州上院において最初の黒人議員が誕生した。また1985年には州最高裁判所に最初の有色人種判事が誕生した。ライリーは州政府において、環境問題と教育に注力した。

その後の経歴 編集

ライリーは州知事を退任後、ビル・クリントン政権で教育長官に任命された。1993年から2001年まで長官を務め、退任後は弁護士として活動した。ま、

またライリーはカーネギー財団理事、ファーマン大学教授、ライリー研究所]顧問を務めた。

参考文献 編集

  • Governors of the American States, Commonwealths and Territories. National Governors' Conference, 1986.

外部リンク 編集

公職
先代
ジェイムズ・バロウズ・エドワーズ
  サウスカロライナ州知事
1979年1月10日 - 1987年1月14日
次代
キャロル・アッシュモア・キャンベル
先代
アンドリュー・ラマー・アレクサンダー
  アメリカ合衆国教育長官
1993年1月21日 - 2001年1月20日
次代
ロデリック・レイナー・ペイジ