リディア・シモン

ルーマニアの陸上競技選手 (1973 - )

リディア・シモンLidia Simon, 1973年9月4日[1] - )は、 ルーマニア出身の女子陸上競技選手(主にマラソン)である。

リディア・シモン Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム リディア・シモン
ラテン文字 Lidia Simon
国籍  ルーマニア
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1973-09-04) 1973年9月4日(50歳)
生誕地 ルーマニア ゴルジュ県 トゥルグ・カルブネシュティ英語版
身長 157cm
体重 44kg
自己ベスト
1500m 4分22秒57(1991年)
3000m 9分25秒84(1991年)
10000m 31分32秒64(1998年)
ハーフマラソン 1時間08分34秒(2000年)
マラソン 2時間22分54秒(2000年)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2000 シドニー 女子マラソン
世界陸上競技選手権
2001 エドモントン 女子マラソン
1997 アテネ 女子マラソン
1999 セビリア 女子マラソン
編集 テンプレートのヘルプを表示する

戦歴 編集

シドニー五輪以前 編集

マラソンデビューは早く、1990年17歳で初マラソンを経験している。だがこの時の記録は2時間58分18秒。国際的なランナーには遠く及ばない記録だった。

シモンが最初に世界大会に登場したのは1995年の世界陸上イェーテボリ大会だった。この大会の女子マラソンで10位になった。

1996年7月に行われた、アトランタ五輪女子マラソンでは、30km地点まで優勝したファツマ・ロバを追う2位集団についていた。しかし30kmを過ぎた直後で銅メダル獲得の有森裕子銀メダル獲得のワレンティナ・エゴロワのスパートについていけずにペースダウン、結果6位入賞にとどまった。

1997年8月に行われた世界陸上アテネ大会では、レース中盤嘔吐症状により優勝争いから脱落するが、後半追い上げて3位入賞、銅メダル獲得。1999年8月に行われた世界陸上セビリア大会でも、レース中盲腸炎による腹痛の影響で優勝を逃すが、再び3位に入って銅メダルを獲得した。

シドニー五輪での高橋尚子との戦い・世界陸上で金メダル 編集

2000年1月に行われた、シドニー五輪女子マラソン代表選考レースであった大阪国際女子マラソンでは、弘山晴美とデッドヒートを繰り広げながらも僅差で当時大会新記録の2時間22分54秒の自己ベストタイムで優勝し、大阪で大会史上初の3連覇を達成した(大会最多優勝回数はカトリン・ドーレの4回)。

同年9月に行われた、シドニー五輪女子マラソン本番では、中間点前の18km付近でスパートした高橋尚子についていき、その後高橋との激闘を演じたが、レース後半の34km付近で高橋に突き放される。40km地点で高橋とは28秒の差が付き、シモンの優勝は絶望的と思われたが、そこからシモンは驚異的な追い上げを見せる。しかし時既に遅し、僅か8秒差で高橋が最初にゴールテープを切って金メダル、シモンは惜しくも2位で銀メダル獲得となった。

2001年8月に行われた世界陸上エドモントン大会では、終盤まで銀メダル獲得の土佐礼子とデッドヒートとなったが、ゴール直前の陸上競技場へ入る手前、土佐をラストスパートで突き放し、土佐とは5秒の僅差で優勝。念願であった世界大会で初の金メダルを獲得、ゴール後のシモンは嬉しさの余り地面に突っ伏したまま号泣していた。

アテネ五輪以降 編集

 
2012年ロンドンマラソンにて

2004年8月に行われたアテネ五輪女子マラソンでは、出産後の準備不足と体調が万全で無かった為、途中棄権となった。その後のレースでも不本意な成績が続いていたが、2007年8月に行われた世界陸上大阪大会では久々の好走、レース終盤まで優勝を争って5位入賞と健闘した。

2008年8月の北京五輪女子マラソンでは、35km過ぎまで2位集団に加わった。その後ペースダウンするも粘りの走りで、結果8位入賞を果たした(優勝は同国代表のコンスタンティナ・トメスク)。さらに5大会連続五輪代表となる、2012年8月のロンドン五輪女子マラソンにも出場した(結果は45位)。現在でも1児のママさんランナーとして、大変息の長い活躍を続けている。

オリンピックでは1996年・6位、2000年・2位、2008年・8位と計3回入賞、また世界陸上選手権では1997年・3位、1999年・3位、2001年・1位、2007年・5位と計4回入賞している。五輪・世界陸上と合わせて合計入賞7回は、女子マラソン選手としては史上最多記録である。また、世界陸上選手権での女子マラソンメダル獲得数3個(1997年・銅、1999年・銅、2001年・金)は、マヌエラ・マシャド(1993年・銀、1995年・金、1997年・銀)、キャサリン・ヌデレバ(2003年・金、2005年・銀、2007年・金)と並び、史上最多タイ記録である。

日本のマラソン大会には、大阪国際女子マラソンへ過去に10回出場のほか、名古屋国際女子マラソン長野オリンピック記念長野マラソンにも出走。なお、2011年の第1回大阪マラソンでは女子選手として初代覇者に輝き、翌2012年の第2回大阪マラソンでも優勝し大会2連覇を果たす。また、TBS系の期首期末特番『オールスター感謝祭』のメイン企画「赤坂5丁目ミニマラソン」にかつてゲストランナーとして数回登場し、自身のトレーナーである夫のリビュー・シモン(通称・旦那シモン)と共に、夫婦揃って出走していた。さらに2009年3月に行われた名古屋国際女子マラソンでは、引退ランの高橋尚子にレース後花束を贈呈する役をこなした。

マラソン主要戦績 編集

  • 自己ベストタイム 2時間22分54秒(2000年大阪国際女子マラソン)
大会 開催国 成績 タイム
1994 リヨンマラソン   フランス 優勝 2:33:59
1994 カストリアマラソン   ギリシャ 優勝 2:32:38
1994 ヨーロッパ陸上選手権ヘルシンキ大会   フィンランド 10位 2:36:14
1995 ワールドカップアテネ大会   ギリシャ 2位 2:31:46
1995 世界陸上イェーテボリ大会   スウェーデン 10位 2:33:18
1996 名古屋国際女子マラソン   日本 8位 2:30:13
1996 アトランタオリンピック     アメリカ合衆国 6位 2:31:04
1997 大阪国際女子マラソン   日本 3位 2:27:04
1997 ロンドンマラソン   イギリス 3位 2:27:11
1997 世界陸上アテネ大会   ギリシャ 3位 2:31:55
1998 大阪国際女子マラソン   日本 優勝 2:28:31
1998 ロンドンマラソン   イギリス 3位 2:28:41
1999 大阪国際女子マラソン   日本 優勝 2:23:24
1999 ロンドンマラソン   日本 5位 2:24:46
1999 世界陸上セビリア大会   スペイン 3位 2:27:41
2000 大阪国際女子マラソン   日本 優勝 2:22:54
2000 ロンドンマラソン   イギリス 2位 2:24:46
2000 シドニーオリンピック     オーストラリア 2位 2:23:22
2001 ロンドンマラソン   イギリス 4位 2:24:15
2001 世界陸上エドモントン大会   カナダ 優勝 2:26:01
2004 ウィーンマラソン   オーストリア 2位 2:30:40
2004 アテネオリンピック    ギリシャ DNF 途中棄権
2005 大阪国際女子マラソン   日本 5位 2:27:01
2005 長野マラソン   日本 2位 2:31:20
2006 大阪国際女子マラソン   日本 9位 2:33:53
2006 シカゴマラソン   アメリカ合衆国 11位 2:30:39
2007 大阪国際女子マラソン   日本 6位 2:32:09
2007 長野マラソン   日本 4位 2:34:48
2007 世界陸上大阪大会   日本 5位 2:31:26
2008 大阪国際女子マラソン   日本 6位 2:27:17
2008 北京オリンピック     中国 8位 2:27:51
2008 ニューヨークシティマラソン   アメリカ合衆国 8位 2:30:04
2009 大阪国際女子マラソン   日本 5位 2:27:14
2009 名古屋国際女子マラソン   日本 21位 2:41:12
2009 世界陸上ベルリン大会   ドイツ 22位 2:32:03
2010 大阪国際女子マラソン   日本 4位 2:27:11
2011 大阪マラソン   日本 優勝 2:32:48
2012 名古屋ウィメンズマラソン   日本 19位 2:33:41
2012 ロンドンオリンピック     イギリス 45位 2:32:46
2012 大阪マラソン   日本 優勝 2:33:12

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集