リトラクタブル・ヘッドライト

自動車の車体内部に格納可能な前照灯

リトラクタブル・ヘッドライト(Retractable headlights)は、車体内部に格納できる方式の前照灯である。

リトラクタブル・ヘッドライト車の例。
トヨタ・スプリンタートレノ(AE86型、1983 - 1987年)

通常のヘッドライトは自動車の前部に固定して据え付けられているのに対して、リトラクタブル・ヘッドライトは消灯時はボンネット内部に埋没しており、点灯時のみ外部に展開される構造となっている。自動車愛好家の間ではリトラとも略され、日本語では格納式前照灯(かくのうしきぜんしょうとう)と称する。

他の格納式(可動式)ヘッドライトとしては、他にポップアップ式、上下スライド式、反転式等が存在する。

考案された背景 編集

自動車の車体前部の高さを下げることは空気抵抗の減少につながるが、前頭部に装備するヘッドライトの最低地上高は歩行者に対する安全上の理由から規制があり、極端に低い位置には設置出来ない。またヘッドライトの存在は車体デザインの自由度を制約し、カーデザイナーは古くからヘッドライトの取り扱いに苦慮してきた歴史もある。これらの課題を両立させるため、「必要な時だけ、法規制を満たす高い位置に露出するヘッドライト」として着想されたのが「リトラクタブル・ヘッドライト」である。

特に、アメリカにおいては1984年FMVSS改定まで「SAE規格型」の丸形・角型灯体以外使用することができなかった。その規格型のライトを使用したままフロントノーズを低くするには「不使用時には格納」するしかなかったという事情もある。このため、当時セクレタリーカーとして人気を博していた日本車のクーペ(S13系日産・シルビアE80・E90系トヨタ・カローラレビン)の北米仕様車では、同系のリトラ車のフロントマスクが流用されたケースもある。

規格型ではない灯体を用いたリトラクタブルライト車はホンダ・NSXフェラーリ・348(仕向地による)等があるが、いずれもFMVSS改定後の車両である。

形態 編集

ヘッドライトユニットの前縁を持ち上げるタイプが多い。また、一部には、オペル・GT、2~4代目シボレー・コルベットのようにユニット自体を反転させるタイプやリンカーンに代表されるアメリカ車の高級セダンでは、直線に切り立ったカバーからライトが回転して飛び出すというギミックを備えたものが多かった。また、ランボルギーニ・ハラマいすゞ・ピアッツァホンダ・バラードスポーツCR-Xなどのヘッドランプの半分または四分の一だけを覆うカバーのみを開閉するタイプや、格納時にも前照が可能なセミ・リトラクタブル・ヘッドライトと呼ばれるタイプもある。また、通常のリトラクタブル式がカバー部とライトが一体で、弧を描いて上下するのに対して、ライト自体がカバー部と別体で、垂直に移動する方式もあり、日産・フェアレディZ(Z31型)、マツダ・サバンナRX-7(FC3系)や初期の三菱・GTO等が採用した。Z31型のヘッドライトは『パラレルライジングヘッドランプ』と呼ばれた。この方式は高速走行中に、ライトを瞬間的に点灯し前方の車に追い抜きの意思表示をするパッシングのため、ヘッドライトを展開した際に空気抵抗が増大するのを避けるため、格納時のままでもライトを点灯できるようにするためである。しかし、当時の日本の保安基準では、この用途では認可が下りなかった[1]

また、オペル・GTには横に回転する、特異なタイプの可動式ライトが装着されているほか、ジャガー・XJ220などヘッドライトを覆うカバーを移動させるタイプもある。

エンジンルームの通気性を良くし、過熱を防ぐために、意図的に半閉の収納状態になるように改造することもある。日産・180SXマツダ・RX-7などに多く見られた。

開閉の動力は、初期にはエンジン吸気管圧力を利用したものやワイヤによる手動式もあったが、1980年代にはモーターの回転運動を用いる電動式が一般的となった。

歴史 編集

非常に古い採用例では、アメリカ合衆国の独立系メーカーであったコードが1935年から1937年の経営破綻まで少量生産した前輪駆動の高級車、コード・810/812 (en: Cord 810/812)がある。棺桶といわれたこのモデルのユニークなデザインは、空力よりもスタイリングの見地から導入された手法で、独立したフェンダーの頂点部にヘッドライトを収納できた。当時コードに追随した事例はほとんどなく、クライスラー系中級車のデソート1942年モデルが第2の採用例となった。これもやはりスタイリングの新鮮味を狙ったものであったが、アメリカ車の1942年モデルは戦時体制で民生供給が中止されたことからデソートも生産中止、1946年の生産再開時には通常の外付けライトに変更された。

本格的に盛んとなったのは1960年代以降で、1963年ロータス・エランなどが初期の例である。

日本では1967年トヨタ・2000GTで初めて採用された。1970年代後期以降スーパーカーブームをきっかけとして一般に広く認知され、マツダ・サバンナRX-7をはじめとするスポーツカーに採用されたため、当時はスポーツカーを象徴する代表的なパーツと見られるようになり、自動車愛好家の羨望の的となっていた。このため、「デコチャリ」と呼ばれた少年用スポーツサイクルにも手動リトラクタブルライトを採用したものがあった。1980年代に入ると日産・パルサーエクサホンダ・アコードクイントインテグラトヨタ・カローラII(および兄弟車のコルサターセル)、マツダ・ファミリアアスティナなどをはじめとするセダンハッチバック型の乗用車にまで採用され、一時的なブームともいえる状態となった。これは、スーパーカーブーム時代の少年たちが成人したのちに「憧れ」を実現しようとしたことが影響しているとも指摘されている。なお、1,300 cc未満の小型乗用車や軽自動車での採用例はない。

今日では以下のように、主に「重い・高い・壊れやすい・必要性がなくなった」などの理由から、採用する車種は全世界的に著しく減少している。

リトラクタブルの問題点
  • 動力性能の悪化
  • 安全面・信頼性の問題
    • 開閉機構が複雑で部品点数が増加し、コスト面と信頼性で不利。
    • 突出したライトは、対人事故の際、対象に重度の傷害を与える恐れがある。
    • 事故時や、寒冷地での凍結時ではライトが展開しなくなる恐れがある。
実用上の意義の希薄化(リトラクタブルである必要性の低下)
  • 北米におけるライト最低地上高規制の緩和。
  • プロジェクターライトやマルチリフレクター式のライトの実用化。配光をレンズカットにより行う必要がなくなったことなどから、それまで垂直にならざるを得なかった前面レンズが単なるライトカバーとなったため、スラントさせたり任意の曲面とすることが可能となり、空力やライトデザインの制約が大きく減った。
  • 一部の国や地域ではヘッドライトの走行時終日点灯を義務づけている。そのような場合は走行中にライトを格納することがないため、装備する意味がほとんどない(前述のように高価で重い上に空気抵抗が増えるので、動力性能、環境性能、コスト面の全てにおいてマイナスにしかならない)。

このような自動車の性能向上という観点から致命的な欠点があり、特にフロントオーバーハング部の重量増は車両の回頭性が悪化するためスポーツ走行には向かない。マイナーチェンジ(三菱・GTOホンダ・NSXランボルギーニ・ディアブロなど)やフルモデルチェンジ(ホンダ・プレリュードトヨタ・スプリンタートレノトヨタ・MR2MR-Sなど)でリトラクタブルを廃止する例や、軽量化・点灯時の空気抵抗低減を目論んだサードパーティー製固定式ランプの登場例(マツダ・RX-7日産・180SXなど)もある。また、シルエイティの登場経緯に関しても、シルビアの固定式ヘッドライトに変更することで、軽量化や修理時のコスト削減を狙ったものとする説がある。

2002年8月、マツダ・RX-7の生産終了を最後に日本製乗用車での採用例は消え[2]2005年2月11日シボレー・コルベットのフルモデルチェンジを最後に、リトラクタブル・ヘッドライトは新車市場から一旦消滅した。現在でもスタイリング面の魅力などからリトラクタブル車は人気が高いが、新規開発は不可能とされている。その一方で2018年ランボルギーニ・ウラカンをベースに製作された「プロジェクト・パンサー・コンセプト」が限定20台で市販されることが報じられたため、限定車という括りだが約13年ぶりにリトラクタブルヘッドライトの搭載車が新車市場に登場することとなった。

なお、固定式ライトの車種をリトラクタブルヘッドライトに変更することは、日本では主に2003年までに製造された車種であれば、姉妹車間や前期型と後期型の間での換装や、あるいは大幅な板金作業を施すなどして公認を取得することは可能であるが、それ以降に販売された車種をリトラクタブル化することは安全基準に適合しなくなるため、困難である。

自動車の採用例 編集

自動車以外での採用例 編集

脚注 編集

  1. ^ ヘッドライト非点灯時用のパッシングランプを別に備えたリトラクタブルライト車も存在する。
  2. ^ もはや過去の遺物!? リトラクタブルヘッドライトがキマっていた国産スポーツ5選”. くるまニュース (2019年12月8日). 2019年12月8日閲覧。

関連項目 編集