リンドン・ジョンソンの家族

リンドン・B・ジョンソンの家族は、第36代アメリカ合衆国大統領(1963年-1969年)のリンドン・B・ジョンソンとファーストレディレディ・バード・ジョンソンに関係するアメリカ合衆国の政治一族である。彼らの直系家族は大統領任期中にはファーストファミリーを務めていた。

リンドン・B・ジョンソンの家族
出身地 アラバマ州
現居住地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州/テキサス州
著名な人物
親族 チャック・ロッブ英語版
イエローオーバルルーム英語版でクリスマスを祝うリンドン・B・ジョンソンとその家族

近親者 編集

リンドン・B・ジョンソンの近親者は妻と2人の娘からなる。4人全員がLBJという頭文字を共有している。

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クラウディア・アルタ・"レディ・バード"・ジョンソン(Claudia Alta "Lady Bird" Johnson, 旧姓: テイラー(Taylor))は、1912年12月22日にテキサス州カーナック英語版で生まれ、2007年7月11日に亡くなった。彼女はアメリカ合衆国のソーシャライトファーストレディである。彼女は1934年にリンドン・B・ジョンソンと結婚し、1973年に彼が亡くなるまで連れ添った[1]

この同時代の女性としては教養があり、優秀なマネージャー、成功した投資家であった[2]。ファーストレディとしてはアメリカの都市や高速道路の美化を提唱し、高速道路美化法英語版は非公式に「レディ・バード法案」("Lady Bird's Bill")と呼ばれていた[3]。彼女には1977年に大統領自由勲章、1988年に議会名誉黄金勲章が授与された[4]

娘たち 編集

リンダ・バード・ジョンソン 編集

リンダ・バード・ジョンソン・ロッブ(Lynda Bird Johnson Robb, 旧姓: ジョンソン(Johnson))は、1944年3月19日にワシントンD.C.で生まれた。彼女はリンドン・B・ジョンソンの長女である。彼女は全米最大の児童識字率向上団体であるリーディング・イズ・ファンダメンタル英語版(Reading Is Fundamental, RIF)の理事長と女性のための全国諮問委員会英語版の会長を務めた[5]

1967年には後にバージニア州知事となるチャック・ロッブ英語版と結婚した。2013年12月21日にジョン・アイゼンハワーが亡くなったことで存命のアメリカ合衆国大統領の子供としては最年長となった。

ルーシー・ジョンソン 編集

ルーシー・ベインズ・ターピン(Luci Baines Turpin, 旧姓: ジョンソン(Johnson)は、1947年7月2日にワシントンD.C.で生まれた。彼女はリンドン・B・ジョンソンの次女である。彼女の名前のもともとの綴りは「Lucy」であったが、10代の頃に両親への反抗心から変更した[6]

1993年から彼女はファミリーオフィスであるLBJアセット・マネジメント・パートナーズの取締役会長と支配人を務め、またビジネススイーツの取締役会長も務めている。さらに彼女はLBJ財団の理事であるほか、レディ・バード・ジョンソン・ワイルドフラワーセンター英語版アメリカ心臓協会の資金を調達する複数の市民団体の理事を務めている[7]

祖先 編集

リンドン・B・ジョンソンの祖先は1795年まで遡ることが出来る[8]。彼の親族のほとんどはテキサス州で生まれ育ったが、父方の祖父はアラバマ州ウェドウィー英語版生まれである。

両親 編集

サミュエル・イーリー・ジョンソン・ジュニア 編集

サミュエル・イーリー・ジョンソン・ジュニア(Samuel Ealy Johnson Jr.)は、1877年10月11日に生まれた。彼はアメリカ合衆国の実業家・政治家であり、テキサス州第89区を代表する民主党員州下院議員英語版である。彼は第29・30・35・37・38テキサス州議会英語版で議員を務めた。

レベッカ・ベインズ・ジョンソン 編集

レベッカ・ベインズ・ジョンソン(Rebekah Baines Johnson)は、1881年6月26日に生まれた。1907年8月20日にサミュエル・イーリー・ジョンソン・ジュニアと結婚した。2人の間には5人の子供が生まれ、長男がリンドン・B・ジョンソンである。1958年9月12日に亡くなった。

祖父母 編集

サミュエル・イーリー・ジョンソン・シニア 編集

サミュエル・イーリー・ジョンソン・シニア英語版は1838年11月12日にアラバマ州ウェドウィー英語版で生まれた。リンドン・B・ジョンソンの父方の祖父であり、ルーシー・ウェブ・バーネット(Lucy Webb Barnett)とジェス・ジョンソン(Jess Johnson)の10番目の子である。彼はバプテストとして育てられたが、後にキリスト教会の信者となった。彼は第二次ガルベストンの戦いルイジアナ州プレザントヒルの戦いに参加した[9]。1915年2月25日に亡くなった。

イライザ・バントン 編集

イライザ・バントン(Eliza Bunton)は1849年6月24日にコールドウェル郡で生まれた。1867年12月11日にサミュエル・イーリー・ジョンソン・シニアと結婚し、息子をもうけた。1917年1月30日に亡くなった。

血統図 編集

以下は、リンドン・B・ジョンソンの先祖の系図である[8]

8. ジェリー・ジョンソン
4. サミュエル・イーリー・ジョンソン・シニア英語版
9. ルーシー・ウェブ・バーネット
2. サミュエル・イーリー・ジョンソン・ジュニア英語版
10. ロバート・ホームズ・バントン
5. イライザ・バントン
11. プリシラ・ジェーン・マッキントッシュ
1. リンドン・B・ジョンソン
12. ジョージ・ワシントン・ベインズ英語版
6. ジョセフ・ウィルソン・ベインズ英語版
13. メリッサ・アン・バトラー
3. レベッカ・ベインズ・ジョンソン
14. ジョンス・スミス・ハフマン・ジュニア
7. ルース・アメント・ハフマン
15. メアリー・エリザベス・ペリン

参考文献 編集

  1. ^ Duke, Armando. “Lady Bird Johnson, the First Lady a Nation Mourns” (英語). AxcessNews.com. 2021年4月18日閲覧。
  2. ^ Obituary: Lady Bird Johnson” (英語). The Guardian (2007年7月12日). 2021年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月27日閲覧。
  3. ^ Wright, Lawrence (2007年7月20日). “Opinion | Lady Bird's Lost Legacy” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. オリジナルの2021年4月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210418152619/https://www.nytimes.com/2007/07/20/opinion/20wright.html 2021年4月18日閲覧。 
  4. ^ Awards Presented to Lady Bird Johnson”. lbjlibrary.org. LBJ Presidential Library. 2021年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月31日閲覧。
  5. ^ Lynda Bird Johnson Robb” (英語). montgomery.dartmouth.edu. The Montgomery Fellows (2016年12月13日). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  6. ^ Luci in the Sky” (英語). Texas Monthly (1998年3月1日). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  7. ^ A list of the board of directors of the Lyndon Baines Johnson Foundation”. lbjlibrary.org. LBJ Presidential Library. 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  8. ^ a b LBJ Presidential Library | Research”. www.lbjlibrary.net. 2021年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  9. ^ Johnson, Samuel Ealy, Sr.”. tshaonline.org. Texas State Historical Association. 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。

外部リンク 編集