ルイス・ハイメ・サロム・ホラシュ (Luís Jaime Salom Horrach[1], 1991年8月7日 - 2016年6月3日) は、スペインオートバイレーサー。

ルイス・サロム
ピットウォークでのサロム、
2013年のカタルーニャグランプリ
生年月日 (1991-08-07) 1991年8月7日
スペイン, パルマ・デ・マヨルカ
死亡年月日 2016年6月3日(2016-06-03)(24歳)
スペイン, バルセロナ
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2014年-2016年
マニファクチャラーカレックス
2015年 順位13位 (80 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
37 0 3 0 1 186
ロードレース世界選手権 Moto3クラス
活動期間2012年-2013年
マニファクチャラーカレックス KTM, KTM
チャンピオン0
2013年 順位3位 (302 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
34 9 20 4 6 516
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2009年-2011年
マニファクチャラーホンダ, ランブレッタ, アプリリア
チャンピオン0
2011年 順位8位 (116 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
43 0 2 0 0 209

経歴 編集

キャリア初期 編集

地中海に浮かぶマリョルカ島の都市パルマ・デ・マヨルカに生まれる。家がヤマハのディーラーを営んでおり、サロムは僅か2歳のときに初めてのオートバイとしてミニモトクロッサーPW50に乗った。8歳のときにはバレアレス諸島スーパーモタード選手権50ccクラスでチャンピオンとなった[2]。その後ロードレースに転向し、2005・2006年と2年連続でバレアレス選手権125ccクラスのチャンピオンとなった。

2007年からはスペインロードレース選手権(CEV)125ccクラスに参戦を開始、第2戦カタルニアで初表彰台(3位)を獲得し、年間ランキングでは7位を記録した。またこの年はロードレース世界選手権のサポートレースであるレッドブルMotoGPルーキーズカップにも参戦、アッセンで1勝を挙げてランキング4位となった。

2008年にも両レースへの参戦を継続、ルーキーズカップでは開幕から5戦中4勝を挙げてタイトル争いをリードしていたが、シーズン終盤の2レース連続リタイヤが響いてアメリカのJ.D.ビーチに逆転され、4ポイント差の年間ランキング2位に終わった[3]。CEVのほうでもシーズン2勝を挙げ、エフレン・バスケスから16ポイント差のランキング2位となった。

125cc/Moto3 (2009-2013) 編集

 
2010年 イギリスGP

2009年、サロムはロードレース世界選手権第3戦スペインGP125ccクラスのレースにワイルドカード枠でグランプリデビュー、23位で完走を果たした[4]。その後第6戦カタルニアGPで2度目のワイルドカード出場を経た後、第7戦ダッチTT以降はシモーネ・コルシの後任[5]としてWRBチームのレギュラーシートを確保、シーズン残り10戦を戦った。サロムは第10戦イギリスGPでベストリザルトとなる6位に入賞、シリーズランキングでは22位を記録した。

2010年シーズンは、開幕戦からランブレッタチームからの出場となった[6]。前年は中国のロンシンの名前で参戦していたこのチームのマシンのパフォーマンスは低かったが、第2戦スペインGPでこのシーズンチームにとって唯一となるポイント獲得を果たした。この活躍が認められ、第3戦フランスGP以降はスティパ・モレナーレーシングに移籍、最新ファクトリー仕様のアプリリア・RSA125を駆ることとなった[7]。サロムはトップ10圏内の常連となり、第17戦ポルトガルGPでベストリザルトの5位を記録、年間ランキング12位に成績を伸ばした。

2011年シーズンもモレナーチームに残留する予定であったが、資金難に陥った同チームは活動休止となってしまう。このため参戦の危機に陥っていたが、チームの一部のスタッフとスポンサーにより新チーム「RWレーシングGP」が結成され、サロムは引き続きRSA125を駆ってグランプリに参戦できることとなった[8]

2012年にはインディアナポリスサンドロ・コルテセマーベリック・ビニャーレスとのバトルを制して初勝利を上げる。第13戦のアラゴンでも勝利し、コルテセに次ぐランキング2位でシーズンを終えた。

2013年レッドブル KTM アジョに移籍、開幕戦のカタールで勝利し、その後も勝利を重ねシーズンをリードする。しかしながら第17戦の日本グランプリで転倒リタイア、ランキング争いのライバル、マーベリック・ビニャーレスとアレックス・リンスにチャンスを与えてしまう。リンスはクラッシュしてリタイアしたものの、ビニャーレスは2位に入る。最終戦バレンシアでもサロムは再びクラッシュし、上位を争うリンスとビニャーレスに引き離される。サロムはこのレースで14位と成り2ポイント獲得、ファステストラップを記録したが、タイトルはビニャーレスが獲得、2位にはリンスが入り、サロムはランキング3位となった。

Moto2 (2014-2016) 編集

サロムはポンス・レーシング2015年までの契約を結び、Moto2にステップアップした。かつてのライバル、マーベリック・ビニャーレスとチームメイトとなった[9]。開幕戦のカタールでは14位、続くオースティンではリタイアと、2戦を終えた時点で2ポイントしか獲得できなかった。第7戦カタルーニャではジョナス・フォルガーとクラッシュ、両者ともリタイアとなった。サロムはレース後に病院で治療を受け、骨折した右腕の手術を受けた。

2016年、サロムはSAGレーシングチームに移籍、イェスコ・ラフィンとチームメイトとなる。開幕戦カタールでは2位でフィニッシュした。

事故死 編集

2016年6月3日に行われたカタルーニャグランプリの2回目のフリー走行開始から25分後、サロムは右の高速コーナー(12コーナー)で転倒、この結果セッションは赤旗で中断された。事故の様子は公式のカメラでは撮影されていなかったが、13コーナー付近の防犯カメラに映像が残されていた。サロムのマシンは舗装されたランオフエリアを一直線に滑りエアーフェンスへ叩きつけられ、その衝撃で上方にバウンドした。サロムはその後に滑り込み、マシンが彼の体に落下した。サロムは治療のためにカタルーニャの病院へ搬送され手術がおこなわれたが、現地時間の16時55分に死亡が確認された[10][11]24歳没。彼の死の結果、レースは通常のレイアウトから速度を低減するため、F1でのレイアウトが使用されることとなった[12]

ロードレース世界選手権 戦績 編集

シーズン別 編集

クラス マシン 出走回数 勝利数 表彰台数 PP FL ポイント 順位
2009年 125cc ホンダ 12 0 0 0 0 21 22位
アプリリア
2010年 125cc ランブレッタ 16 0 0 0 0 72 12位
アプリリア
2011年 125cc アプリリア 15 0 2 0 0 116 8位
2012年 Moto3 カレックス KTM 17 2 8 0 1 214 2位
2013年 Moto3 KTM 17 7 12 4 5 302 3位
2014年 Moto2 カレックス 18 0 2 0 1 85 8位
2015年 Moto2 カレックス 17 0 0 0 0 80 13位
2016年 Moto2 カレックス 6 0 1 0 0 37 19位
118 9 25 4 7 927

クラス別 編集

クラス シーズン 初GP 初表彰台 初勝利 出走回数 勝利数 表彰台数 PP FL ポイント タイトル
125 cc 2009-2011 2009年スペイン 2011年オランダ 43 0 2 0 0 209 0
Moto3 2012-2013 2012年カタール 2012年スペイン 2012年インディアナポリス 34 9 20 4 6 516 0
Moto2 2014-2016 2014年カタール 2014年アルゼンチン 42 0 3 0 1 202 0

年度別 編集

凡例

クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2009年 125cc ホンダ QAT JPN SPA
23
FRA ITA CAT
Ret
22位 21
アプリリア NED
16
GER
13
GBR
6
CZE
Ret
IND
13
RSM
21
POR
15
AUS
19
MAL
15
VAL
13
2010年 125cc ランブレッタ QAT
Ret
SPA
15
12位 72
アプリリア FRA
10
ITA
DNS
GBR
Ret
NED
8
CAT
Ret
GER
Ret
CZE
10
IND
12
RSM
Ret
ARA
10
JPN
8
MAL
8
AUS
8
POR
5
VAL
10
2011年 125cc アプリリア QAT
8
SPA
Ret
POR
8
FRA
10
CAT
Ret
GBR
4
NED
2
ITA
6
GER
5
CZE
DNS
IND RSM
Ret
ARA
5
JPN
23
AUS
2
MAL
Ret
VAL
7
8位 116
2012年 Moto3 カレックス KTM QAT
4
SPA
2
POR
3
FRA
Ret
CAT
10
GBR
2
NED
4
GER
3
ITA
Ret
IND
1
CZE
2
RSM
2
ARA
1
JPN
Ret
MAL
4
AUS
15
VAL
10
2位 214
2013年 Moto3 KTM QAT
1
AME
3
SPA
2
FRA
3
ITA
1
CAT
1
NED
1
GER
2
IND
5
CZE
1
GBR
1
RSM
4
ARA
4
MAL
1
AUS
3
JPN
Ret
VAL
14
3位 302
2014年 Moto2 カレックス QAT
14
AME
Ret
ARG
3
SPA
6
FRA
5
ITA
2
CAT
Ret
NED
15
GER
14
IND
26
CZE
Ret
GBR
19
RSM
15
ARA
13
JPN
15
AUS
17
MAL
11
VAL
4
8位 85
2015年 Moto2 カレックス QAT
Ret
AME
27
ARG
11
SPA
7
FRA
Ret
ITA
5
CAT
5
NED
DNS
GER
17
IND
16
CZE
9
GBR
17
RSM
9
ARA
Ret
JPN
Ret
AUS
6
MAL
6
VAL
6
13位 80
2016年 Moto2 カレックス QAT
2
ARG
15
AME
13
SPA
9
FRA
10
ITA
Ret
CAT
DNQ
NED
GER
AUT
CZE
GBR
RSM
ARA
JPN
AUS
MAL
VAL
19位 37

参照 編集

  1. ^ Campeonato de España de Velocidad, Circuito de Albacete - 5ª Prueba: Clasificación Provisional” (PDF). CEV Buckler. Dorna Sports (2008年9月21日). 2011年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月9日閲覧。
  2. ^ #39 Luis Salom”. Red Bull MotoGP Rookie Cup. Red Bull. 2010年11月9日閲覧。
  3. ^ Red Bull Rookie Standings 2008”. Red Bull MotoGP Rookie Cup. Red Bull. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月9日閲覧。
  4. ^ Gran Premio bwin.com de España: 125cc Entry List” (PDF). motogp.com. Dorna Sports. 2010年11月9日閲覧。
  5. ^ コルシは第7戦以降フォンタナ・レーシングに移籍
  6. ^ “Entry list for 2010 125cc World Championship”. motogp.com (Dorna Sports). (2010年1月27日). http://www.motogp.com/en/news/2010/125cc+provisional+entry+list+2010 2010年11月9日閲覧。 
  7. ^ Monster Energy Grand Prix de France: 125cc Entry List” (PDF). motogp.com. Dorna Sports. 2010年11月9日閲覧。
  8. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Salom+with+RW+Racing+GP+in+2011
  9. ^ “Salom, Vinales sign two-year Pons deals”. Crash.net (Crash Media Group). (2013年9月11日). http://www.crash.net/motogp/news/195580/1/moto2_salom_vinales_sign_two-year_pons_deals.html 2013年11月10日閲覧。 
  10. ^ Statement - Luis Salmon”. motogp.com. Dorna Sports SL (2016年6月3日). 2016年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月3日閲覧。
  11. ^ Moto2ライダー、ルイス・サロムがセッション中の転倒事故で亡くなる - Autosport web 2016年6月4日付
  12. ^ “Catalulnya MotoGP to use F1 layout following Salom tragedy”. Crash.net (Crash.net). (2016年6月3日). http://www.crash.net/motogp/news/230979/1/catalulnya-motogp-to-use-f1-layout-following-salom-tragedy.html 2016年6月4日閲覧。 

外部リンク 編集