ルカ・トーニ

イタリアのサッカー選手

ルカ・トーニLuca Toni, 1977年5月26日 - )は、イタリアエミリア=ロマーニャ州パヴッロ・ネル・フリニャーノ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはフォワード

ルカ・トーニ
名前
愛称 トニゴル
ラテン文字 Luca Toni
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1977-05-26) 1977年5月26日(46歳)
出身地 パヴッロ・ネル・フリニャーノ
身長 196cm
体重 94kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1996 イタリアの旗 モデナ 32 (7)
1996-1997 イタリアの旗 エンポリ 3 (1)
1997-1998 イタリアの旗 フィオレンツォーラ 26 (2)
1998-1999 イタリアの旗 ロディジャーニ 31 (15)
1999-2000 イタリアの旗 トレヴィーゾ 35 (15)
2000-2001 イタリアの旗 ヴィチェンツァ 31 (9)
2001-2003 イタリアの旗 ブレシア 44 (15)
2003-2005 イタリアの旗 パレルモ 80 (50)
2005-2007 イタリアの旗 フィオレンティーナ 67 (47)
2007-2010 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 60 (38)
2009 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 2 (0)
2010 イタリアの旗 ローマ (loan) 15 (5)
2010-2011 イタリアの旗 ジェノア 16 (3)
2011-2012 イタリアの旗 ユヴェントス 14 (2)
2012 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル 8 (3)
2013-2014 イタリアの旗 フィオレンティーナ 27 (8)
2014-2016 イタリアの旗 エラス・ヴェローナ 95 (48)
通算 586 (268)
代表歴
2004-2009[1] イタリアの旗 イタリア 47 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セリエAで2度、ブンデスリーガで1度得点王を獲得した大型ストライカー。2014-15シーズンの38歳での得点王はセリエA最年長記録。またイタリア代表では2006 FIFAワールドカップにレギュラーとして出場し、優勝に貢献した。

経歴 編集

クラブ 編集

 
フィオレンティーナ時代のトーニ

1994年にモデナFCでプロキャリアをスタートさせ、複数のクラブを渡り歩いた。2003-04シーズンに当時セリエBパレルモに移籍すると才能が開花、45試合で30得点を挙げセリエA昇格に導く。翌年も20得点を挙げ同クラブの残留に貢献している。2005年にフィオレンティーナに移籍してからはエースストライカーとしてクラブの躍進の原動力となる。同時にアルベルト・ジラルディーノと並んでイタリア代表の看板選手となった。

2005-06シーズンは31得点でセリエAの得点王を獲得。30得点以上での得点王獲得は、セリエAでは47年振りの事である[2]

2005-06シーズンの活躍によりヨーロッパ各国のクラブからオファーがあったが、トーニ自身は八百長問題もあってかクラブのセリエA残留を目標にして当分移籍する気はないと発言していた。

 
バイエルン在籍時のトーニ

2007-08シーズンからドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンでプレーすることになった。移籍金は1100万ユーロ(約18億円)。移籍1年目からブンデスリーガ得点王となる24得点を挙げる活躍を見せ、この年のバイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝に貢献した。

2009-10シーズン途中、ファン・ハール監督と関係をこじらせ、出場機会が減少していたため[3]ASローマにレンタル移籍[4]。移籍後最初の公式戦となった1月6日のカリアリ戦でローマでのデビュー。

2009-10シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を解除。ジェノアCFCへ移籍。

2010-11シーズン途中、ジェノアCFCとの契約を解除。ユヴェントスへ移籍。しかし、アントニオ・コンテの監督就任後構想外に。

2012年1月、ワルテル・ゼンガ率いるアル・ナスル移籍が決定[5]

2012年8月、移籍期限間際で古巣フィオレンティーナに復帰。9月16日のカターニャ戦では復帰後初ゴールも決めた。

2013年7月、エラス・ヴェローナへの移籍が決定。

2014-15シーズンは22得点を挙げ、得点数タイのマウロ・イカルディと共にセリエA得点王となった。38歳での得点王はセリエA最年長記録[2]

しかし前年得点王として迎えた2015-16シーズンは、2015年9月20日に行われた第4節の対アタランタBC戦で左膝靭帯を損傷し、2ヶ月以上の負傷離脱を強いられることになった。この重傷も影響して2016年5月4日、現役引退を表明した[6]。5月8日、現役最後の試合となったユヴェントス戦でパネンカでPKを成功させ、2-1での勝利に貢献した[7]

代表 編集

イタリア代表としては2004年8月18日のアイスランド戦(レイキャビク)で代表デビュー。2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会のメンバーに選出され、エースナンバーとされる背番号9番を背負った。6試合に先発出場し、準々決勝・ウクライナ戦で2ゴールを決めるなど、イタリアの優勝に貢献した。EURO2008でもエースとして全試合に先発出場したが、幾度となくチャンスを逸し無得点に終わった。不振のイタリアの象徴となった[要出典]

現役引退後 編集

現役引退後は、最終所属先であったエラス・ヴェローナの役員に就任している。

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1994-95 モデナ セリエC1 7 2 7 2
1995-96 25 5 25 5
1996-97 エンポリ セリエB 3 1 0 0 3 1
1997-98 フィオレンツォーラ セリエC1 26 2 4 2 30 4
1998-99 ロディジャーニ 31 15 2 1 33 16
1999-00 トレヴィーゾ セリエB 35 15 4 1 39 16
2000-01 ヴィチェンツァ 30 セリエA 31 9 2 0 33 9
2001-02 ブレシア 9 28 13 4 1 32 14
2002-03 16 2 0 0 16 2
2003-04 パレルモ セリエB 45 30 2 0 47 30
2004-05 セリエA 35 20 1 1 36 21
2005-06 フィオレンティーナ 30 38 31 4 2 42 33
2006-07 29 16 0 0 29 16
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2007-08 バイエルン 9 ブンデス1部 31 24 - 4 5 35 29
2008-09 25 14 - 2 1 27 15
2009-10 4 0 - 2 1 6 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2009-10 ASローマ 30 セリエA 15 5 2 0 17 5
2010-11 ジェノアCFC 9 16 3 2 4 18 7
2010-11 ユヴェントス 20 14 2 1 0 15 2
アラブ首長国連邦 リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011-12 アル・ナスル UAEリーグ 8 3 3 0 2 2 13 5
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2012-13 フィオレンティーナ 30 セリエA 27 8 1 0 28 8
2013-14 エラス・ヴェローナ 9 34 20 2 1 36 21
2014-15 38 22 1 1 39 23
2015-16 23 6 2 1 25 7
通算 イタリア セリエA 344 157 22 11 366 168
イタリア セリエB 83 46 6 1 89 47
イタリア セリエC1 89 24 6 3 95 27
ドイツ ブンデス1部 60 38 0 0 8 7 68 45
アラブ首長国連邦 UAEリーグ 8 3 3 0 2 2 13 5
総通算 586 268 37 15 10 9 633 292

代表歴 編集


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
2004 5 1
2005 10 6
2006 11 3
2007 5 4
2008 11 2
2009 5 0
通算 47 16

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2004年9月4日   パレルモスタディオ・レンツォ・バルベラ   ノルウェー 2–1 2–1 2006 FIFAワールドカップ予選
2. 2005年6月11日   イーストラザフォードジャイアンツ・スタジアム   エクアドル 1–0 1–1 親善試合
3. 2005年9月7日   ミンスクディナモ・スタジアム   ベラルーシ 1–1 1–4 2006 FIFAワールドカップ予選
4. 1–2
5. 1–3
6. 2005年11月12日   アムステルダムアムステルダム・アレナ   オランダ 1–3 1–3 親善試合
7. 2006年3月1日   フィレンツェスタディオ・アルテミオ・フランキ   ドイツ 2–0 4–1 親善試合
8. 2006年6月30日   ハンブルクフォルクスパルクシュタディオン   ウクライナ 2–0 3–0 2006 FIFAワールドカップ 準々決勝
9. 3–0
10. 2006年10月7日   ローマスタディオ・オリンピコ   ウクライナ 2–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
11. 2007年3月28日   バーリスタディオ・サン・ニコラ   スコットランド 1–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
12. 2–0
13. 2007年11月17日   グラスゴーハムデン・パーク   スコットランド 0–1 1–2 UEFA EURO 2008予選
14. 2007年11月21日   モデナスタディオ・アルベルト・ブラーリア   フェロー諸島 2–0 3–1 UEFA EURO 2008予選
15. 2008年2月6日   チューリッヒレッツィグルンド・シュタディオン   ポルトガル 1–0 3–1 親善試合
16. 2008年11月19日   ピレウススタディオ・ヨルギオス・カライスカキス   ギリシャ 1–1 1–1 親善試合

タイトル 編集

 
2006 FIFAワールドカップ・決勝でのトーニ

クラブ 編集

USチッタ・ディ・パレルモ
バイエルン・ミュンヘン

代表 編集

イタリア代表

個人 編集

出典 編集

外部リンク 編集