ルチアーノ・サルチェLuciano Salce, 1922年9月25日 - 1989年12月17日)は、イタリア映画監督脚本家俳優である[1][2]。死因は、心筋梗塞。

Luciano Salce
ルチアーノ・サルチェ
生年月日 (1922-09-25) 1922年9月25日
没年月日 (1989-12-17) 1989年12月17日(67歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア ラツィオ州ローマ県ローマ
死没地 イタリアの旗 イタリア ラツィオ州ローマ県ローマ
職業 映画監督脚本家俳優
ジャンル イタリア式コメディ
活動期間 1946年 - 1987年
活動内容 1946年 映画に出演し始める
1953年 監督デビュー
配偶者 ディレッタ・ダンドレア
著名な家族 息子 エマヌエーレ・サルチェ
主な作品
狂ったバカンス
ギャグ王世界一/ファントッツィ
ファントッツィ二度目の悲劇
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来歴・人物 編集

1922年(大正11年)9月25日ラツィオ州ローマ県ローマに生まれる[1][2]

満24歳になる1946年(昭和21年)、ルイジ・ザンパ監督の『ヴァカンスのアメリカ人』に出演したのが、もっとも古い出演記録で、以降、映画に多く出演する[1]

1950年(昭和25年)、ブラジルにわたり、テアトロ・ブラジレイロ・デ・コメディアの芸術監督となる[2]。1951年(昭和26年)、トム・ペインおよびアビリオ・ペレイラ・デ・アルメイダ共同監督によるブラジル映画アンジェラ』に出演、1953年(昭和28年)には、ブラジル映画『バランスをとる蚤』を監督して、監督業に進出する[1]。1950年代後半にはイタリアに戻り、ラジオ番組等に出演し[2]、またその後もコメディを中心に映画出演を続ける傍ら、自らもコメディを中心に監督した[1][2]

1966年(昭和41年)8月7日、ディレッタ・ダンドレアとの間に、後の俳優・映画監督のエマヌエーレ・サルチェが生まれる[1][3]。のちに離婚、ディレッタは1970年(昭和45年)12月7日に俳優のヴィットリオ・ガスマンと再婚、サルチェの息子のエマヌエーレは、ガスマンの子どもたちとともに育てられた[3]

1989年(平成元年)12月17日、ラツィオ州ローマ県ローマで死去した[1][2]。満67歳没。

フィルモグラフィ 編集

1940年代 - 1950年代 編集

1960年代 編集

1970年代 編集

1980年代 編集

参考文献 編集

関連事項 編集

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  1. ^ a b c d e f g Luciano Salce, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Luciano Salce, allmovie (英語), 2011年2月1日閲覧。
  3. ^ a b c Emanuele Salce - IMDb(英語), 2011年2月1日閲覧。

外部リンク 編集