レイヨナン式レヨナン式: Rayonnantフランス語発音: [ʁɛjɔnɑ̃])は、13世紀中期から14世紀中期のフランスにおける、ゴシック建築の様式のひとつである[1][2]。レイヨナン(Rayonnant)の名称は、アンリ・フォションをはじめとする、窓のトレーサリーの形態からゴシック建築を分類しようとした19世紀フランスの美術史家によって名付けられたものであり、この様式のバラ窓の装飾がのように放射状に広がっていることに由来する。イングランドにおいては、装飾様式(: Decorated style)と呼称されることもある[1][2]

サント・シャペル(1238年1248年)の窓。

この様式は、建築の大規模性を追求する盛期ゴシック英語版から離れ、空間のまとまり、装飾の洗練性を重視したほか、窓の面積を増やすことで空間に光を取り込もうとしたことを特徴とする[3]。また、この様式の目立つ特色として、巨大なバラ窓、上層部クリアストーリーの窓の増加、翼廊の重要性の削減、身廊と側廊の連絡を充実させるための地上階の開口部の大型化がある[3]。内部装飾は増加し、装飾モチーフは巨大なスケールと空間的な合理性を用いた、ファサードや控え壁といった外部に広がり、平面とは異なるスケールでの装飾モチーフの繰り返しに対する、より大きな関心に向かった。トレーサリー英語版はステンドグラス窓から石造部、そして破風などの建築的な特徴へと徐々に広がっていった[1][2]

フランスにおいてはアミアン大聖堂(1220年1270年)が初期の代表例である。もっとも著名で完成された例は、ノートルダム大聖堂の一部再建(1250年代)であり、巨大なバラ窓が増築されている[1][2]。後期レイヨナン式のもっとも優れた例は、パリの宮廷礼拝堂であるサント・シャペルで、上部の層はステンドグラスによる大きな籠のようになっている[1][2]

この様式はフランスからイングランドにもすぐ広まり、トレーサリーの装飾はコロネット英語版やリブヴォールトなど、より伝統的なイギリスの装飾に取り入れられることもあった[1][2]。イングランドにおけるレイヨナン式の特筆すべき例としては、リンカン大聖堂エクセター大聖堂の天使のクワイヤ(1280年以前建造)が挙げられる。また、ウェルズ大聖堂英語版の印象的なレトロクワイア英語版ブリストル大聖堂英語版の聖アウグスティヌスのクワイヤ、ウェストミンスター寺院もその他の重要な例である。

14世紀中期以降、レイヨナン式は次第に華麗で装飾性の高いフランボワイヤン式英語版 に取って代わられることになる。

フランスにおけるレイヨナン式 編集

レイヨナン式の起源は、1226年から1270年まで在位したルイ9世の時代にさかのぼることができる。当時のフランスはヨーロッパでもっとも裕福で力のある国家であった。ルイ9世は敬神の念があつく、カトリック教会およびカトリック芸術の有力な支援者だった。神学教育機関として、ソルボンヌことパリ大学が設立されたのも彼の治世下である。主要なレイヨナン式の聖堂は彼の支援を受けており、彼が所蔵する膨大な聖遺物を保管するためつくられた、宮廷礼拝堂であるサント・シャペルは、レイヨナン式ゴシック建築の傑作のひとつとみなされている[4]。ルイ9世は、イングランドのゴシック建築にも重要な影響をのこしている。彼の義理の兄弟である、イングランド王ヘンリー3世はパリを訪問し、1245年にウェストミンスター寺院を新しい様式で修築している。また、彼はサント・シャペルの献堂に参列し、1258年セント・ポール大聖堂の東端をこれに似せて改築している[1]

アミアン大聖堂 編集

最初にレイヨナン式で建造された大聖堂は、アミアン大聖堂(1220年–1270年)である。建造の指揮をとったのはアミアン司教のフイヨワのエヴラール英語版であり、奥行155m、幅7m、面積7700m2ヴォールトの高さ42.5mの、フランス最大の大聖堂としてつくられた。身廊1240年に、クワイヤ1241年から1267年の間に完成した。建造者はルザンシュのロベール英語版コルモンのトマ英語版であり、彼らの名前と図像は床面に描かれた迷路に描かれる[5]

アミアン大聖堂の、レイヨナン式教会としてのもっとも印象的な特徴は、大アーケードの18mという途方もない高さである。これは、上層のトリフォリウムとクリアストーリーの合計の高さに匹敵する。高窓もレイヨナン式の新しい配置のしかたがなされている。身廊には4枚1組のランセット窓英語版の上にバラ窓3枚、トランセプトにはランセット窓8枚を設けることにより、おびただしい光を取り込んでいる[5]。1992年に実施されたティンパヌムの詳細な研究では塗料の痕跡が発見され、全体が鮮やかな色で彩色されていたことがわかった。現在は、特別な日にはライティングによって往時の姿が再現される。

サン=ドニ大聖堂とパリのノートルダム大聖堂 編集

アミアン大聖堂が着工されてからまもなく、ゴシック様式の嚆矢として知られるパリのサン=ドニ大聖堂もレイヨナン式に修築された。1231年に身廊とトランセプトの修築がはじまり、内部空間がひろく解放された(ただし、シュジェールによって建設された当初のゴシック様式の特徴のいくつかは見違えるほど変化している)。壁面には大きな窓が設けられ、主なアーケードからヴォールトの頂点に至るまで、上層部が開放された。暗かったアプスは光で満たされた[1]

パリのノートルダム大聖堂も、新しい様式にあわせて大修築された。1220年から1230年にかけて、古い控え壁フライング・バットレスに取り替えられ、上層部の壁を支えた。ひとつの高さが6mの窓37枚が新しく設けられ、それぞれにバラ窓をのせた二重アーチ窓が付随した(現在は身廊に12枚、クワイヤに13枚の計25枚が残る)[6]

ノートルダム大聖堂の最初のバラ窓は、1220年代に西側ファサードに設けられた。中世において、バラはこの聖堂の献堂先である処女マリアの象徴であった[6]。西側の窓は小さく、太い石の輻がついていた。トランセプトに設けられた比較的大きな窓は1250年(北側)と1260年(南側)に設けられた。これらの窓はより凝った装飾が施されており、ガラスを隔てる中枠も細かった。北側の窓は旧約聖書の物語、南側の窓はキリストの教えと新約聖書に特化している[6]

ル・マン大聖堂とトゥール大聖堂 編集

レイヨナン式はイル・ド・フランスから他地域であるノルマンディーまですぐに広まり、進行中であった多くの建設計画に影響を及ぼした。ノルマンディーのル・マン大聖堂英語版では、司教であるルダンのジョフロワフランス語版が計画を修正し、レイヨナン式教会のように、二重飛び梁とランセット窓に分割した高窓を追加した。トゥール大聖堂英語版はルイ9世の支援のもとで、より野心的な計画を立てた。その最も顕著なレイヨナン的特徴は、トリフォリウムの窓とクリアストーリーの窓を融合させ、サント・シャペルのようなステンドグラスの帳を作り出したことである[7]

サント・シャペル 編集

サント・シャペルは、1248年にルイ9世が建造した、彼が十字軍で持ち帰ったキリストの受難に関する聖遺物を保管するための礼拝堂であり、レイヨナン式の頂点であると考えられている。この礼拝堂はアーヘン大聖堂リヨン大聖堂、パリ郊外のサント・シャペル・ド・ヴァンセンヌ英語版といった、ヨーロッパ各地にある同様の建築のモデルとなった。極彩色のステンドグラスと鮮やかに彩られた壁を有し、ガラスで覆われていない部分は彫刻や彩色を施したトレーサリーで密に覆われている[1][2]

フランス国外のレイヨナン式 編集

イングランド 編集

イングランドにおいては、13世紀中期よりレイヨナン式の建築がつくられはじめた。後世の学者は、イングランドで発展したレイヨナン式のことを装飾時代英語版と呼称する。イギリスの歴史家は、装飾時代を建築デザインの主要なモチーフに基づき2つに区分することがある。ひとつは優美な曲線をもちいる曲線様式(: Curvilinear style1290年または1315年1350年または1360年)で、もうひとつは直線や立方体、円をモチーフにした幾何学的な装飾を特徴とする幾何学様式(: Geometric style1245年または1250年1315年または1360年)である[8]

イングランド王ヘンリー3世はルイ9世の義理の兄弟であり、1248年にはパリでサント・シャペル大聖堂の献堂に参加している。1245年、ヘンリー3世はウェストミンスター大聖堂の部分的な改修に着手していたが、パリ訪問後、彼はレイヨナン式の要素を加えはじめる。また、サント・シャペルをモデルに、セント・ポール大聖堂東端の再建を命じた。ウェストミンスター大聖堂の装飾様式は、フランスのレイヨナン式と異なり、石彫による重厚な装飾が施されていた[8]

この様式はすぐさま、イングランド全国の教会および聖堂建築に用いられるようになった。リンカン大聖堂には、いくつかのレイヨナン的特徴の追加がみられる。参事会会議場英語版のヴォールト天井(1220年)、「首席司祭の目」のバラ窓(Dean's Eye rose window、1237年)、ガラリヤのポーチと天使のクワイヤ(Galilee Porch and Angel Choir、1256年1280年)がそうである[9]。その他の特筆すべきレイヨナン式の事例として、エクセター大聖堂1280年以前)、ブリストル大聖堂英語版の聖アウグスティヌスのクワイヤ(Choir of Saint Augustine)、ウェルズ大聖堂英語版の特異なレトロクワイヤがある。これらの建築では、フランス風のトレーサリーや装飾が、コロネットや装飾的なリブヴォールトといった、イギリス的な装飾と混用されることがある[1][2]

14世紀には、グリザイユの技法がイングランドの聖堂にひろく用いられるようになり、一例としてヨーク・ミンスター1300年1338年)の身廊窓などがある。これは、大きな窓ガラスに、より多くの光を取り入れるため、多くの場合灰色もしくは白色の単彩色を施すもので、しばしばステンドグラスの小さなパネルで囲まれた[10]

中央ヨーロッパ 編集

レイヨナン式は徐々にパリから東に広まっていき、地域の様式に順応していった。神聖ローマ帝国ストラスブール大聖堂身廊は、初期の特筆すべき例である[3]1277年に着工されたこの大聖堂は、それ以前に建てられたロマネスク様式の教会の基礎の上に建てられ、束ね柱で区切られたアーケードというレイヨナン式の一般的な配置からいくつか逸脱したものであった。ランセット窓とバラ窓の並ぶ廊下、狭いトリフォリウムの上に並ぶたくさんの窓、4枚のランセット窓の上に方眼窓が付いた印象的な高窓という3層からなる立面は、教会の内部を光に満ちあふれさせる。この大聖堂の珍しい側面のひとつは彩色であり、濃淡の異なる赤灰色の石が装飾の一部となっている。また、西側のバラ窓は、「ふいご」(soufflet)と呼ばれる16枚の細長いハート型に分かれた、非常に洗練されたものである[11]

もうひとつの重要な例はケルン大聖堂である。1248年に建設がはじまり、1322年に東側袖廊が献堂されたものの、14世紀に工事が中断され、19世紀に再開され、1880年に完成した。

南ヨーロッパ 編集

レイヨナン式の建築はイタリアではかなり珍しく、往々にしてフランスなどヨーロッパの各地で活動していた修道院の建築としてみられる。重要な一例としてオルヴィエート大聖堂英語版1310年着工)がある。この聖堂はファサードと堂内の手の込んだ平面装飾で有名である。シエナ大聖堂のファサードもレイヨナン式で作られたが、後年修築された。多色大理石による極めて高度な内部装飾と、ファサードを覆う精緻な彫刻で知られる。フィレンツェ大聖堂鐘楼のファサードは、大理石に精巧な彫刻が施され、レイヨナン式のトレーサリーにも類似する。

レイヨナン式建築はスペインにも現れる。特にフランスのデザインの影響を受けたレオン大聖堂1255年着工)の身廊とトランセプトにみられるよう、スペインの大聖堂は巨大なアーケードを持つ傾向があるが、スペインの大聖堂はそれぞれ非常に個性的で分類しにくい様式を持っていた。スペインにおけるほかの例としてはジローナ大聖堂英語版バルセロナ大聖堂がある。ブルゴス大聖堂は、フランボワイヤン式ゴシックの隆盛期にほとんどが修築された[1]

特徴 編集

レイヨナン式のきわだった特徴は、室内に取り込まれる光の多さである。これはとりわけ窓の数と面積の増量、アーケードの拡張と、色ガラスからグリザイユへの転換によるものである。また、破風と尖塔、トレーサリーの利用も見られる。この時代にはバンド窓(Band window)とよばれる、グリザイユで装飾したガラス窓の上下を色彩豊かなステンドグラスではさむ手法が発達し、より多くの光を取り込むことができるようになった。さらに、建築の外装と内装の両方において、装飾が相当に増加した。これは、バラ窓の手の込んだ装飾や、ファサードやバットレスのような要素を覆うため外装に施された、レースのようなトレーサリーを通して現れる。

ファサード 編集

レイヨナン式の時代にはトロワの聖ウルバン大聖堂英語版1262年1389年)にみられるよう、西側のファサードや門は、先端部にしばしば円形の小窓があしらわれる尖った破風、彫刻を施した尖塔やフルーロン英語版などで惜しげなく装飾された。尖塔は装飾としての役割だけでなく、控え壁に重量を加えて壁を支えるという構造的な役割も持っていた。

立面 編集

初期ゴシックの聖堂においては、身廊の壁は地上階のアーケード、身廊を支えるアーケードであるトリビューン英語版、狭いアーケードを備えた、壁をさらに補強する通路であるトリフォリウム英語版、ヴォールト天井の直下にあり、多くの場合小窓を備えるクリアストーリーの4層にほとんど等分されていた。しかし、レイヨナン式の時代には、この構造は劇的に変化する。より効率的なフライング・バットレスと四分割リブ・ヴォールトのおかげで、壁はより高く、より薄くなり、窓のための空間も広がった。アーケードも高くなり、開口部が大きくなった。トリビューンは、構造上の意味がなくなったために完全に消失した。トリフォリウムもほとんど消失するか、あるいは窓でみたされた。もっとも印象的なのは、長い控え壁で支えられた、最上層であるクリアストーリーの変化である。上層部の壁はますます大きくなった窓により、ほとんど壁がなくなるほどに埋めつくされた[12]

フランスでレイヨナン式の一部として生み出された最後の建築学的革新が、ガラス張りのトリフォリウムである。伝統的に、初期および盛期ゴシック様式における大聖堂のトリフォリウムは、狭い通路を備えた、アーケード上部とクリアストーリーを隔てる光を通さない水平帯だった。この層は室内に光が入るのを妨げるが、側廊や礼拝堂の傾斜した差し掛け屋根英語版に対応するため必要だった。1230年代のサン=ドニ大聖堂身廊にみられるように、レイヨナン式ではこの問題を側廊の屋根を二重にし、その中に雨水を排水するための樋を通すことで解決した。これにより、トリフォリウムの通路の外壁をガラス張りに、内壁は細い線からなるトレーサリーにすることが可能になった。建築家はトリフォリウムとクリアストーリーの連関を、クリアストーリーの窓の上部からトリフォリウムの盲トレーサリー(後述)、アーケード上部のじゃばら層英語版までを連続して成型し、後者の窓の中央方立を延長することで強調した。

編集

明り取り窓はレイヨナン式の中心的な特徴である。レイヨナン式の窓は大きく、大量に、そして従来の様式よりも華やかに作られた。これらの窓は透明、あるいはグリザイユで装飾され、室内を光に溢れさせた。初期ゴシック様式の大聖堂は、小さな窓しか設けず、ガラスはシャルトルブルー(シャルトル大聖堂のステンドグラスフランス語版も参照)などで鮮やかに着色されていたが、レイヨナン式では色とりどりの光で明るく照らされた空間に入れ替わった[3]

トリフォリウムといった、壁の中層部にも窓が設けられた。クリアストーリーのような上層部にはランセット窓が並び、その上には三つ葉型、四つ葉型の窓や、オクルス(oculus)とよばれる小さなバラ窓があしらわれた。ノートルダム大聖堂では、より高く長いフライング・バットレスが作られ、壁の高い部分を支えるために二重になっていたため、これが可能になった。

窓の装飾であるトレーサリーも大きく変化した。初期のゴシック様式の窓には、平らな石板から窓の開口部を抜き取ったようなプレート・トレーサリー(plate-tracery)がよく使われていた。これに代わって、より繊細なバー・トレーサリー(bar-tracery)が採用されるようになった。バー・トレーサリーは、ガラス板を区切る石のリブに細かい彫刻を施し、内側と外側の輪郭を丸めた。「レイヨナン式」という名前は、バラ窓の輻が放射状に広がるデザインから名付けられた。バー・トレーサリーはランス大聖堂クリアストーリーの窓ではじめてあらわれ、ヨーロッパ全土に急速に広まった。

イングランドのレイヨナン式(装飾様式)は、方立により細かく分割され、精巧なトレーサリーで装飾された高く幅広い窓に特徴づけられる。初期には三つ葉型や四つ葉型のデザインが特徴的だったが、後にはオージー英語版とよばれるS字曲線の意匠がよく用いられるようになる。オージーの炎のようなデザインはフランボワイヤン式に継承される。ウェストミンスター寺院の修道院やリンカン大聖堂の「天使のクワイヤ」、ヨーク・ミンスターの身廊および西面が代表的な例である[2]

バラ窓 編集

巨大なバラ窓はレイヨナン式のもっとも目を引く要素のひとつである。パリのノートルダム大聖堂のトランセプトは、ルイ9世の支援のもと、シェルのジャン英語版モントルイユのピエール英語版のつくった巨大なバラ窓2枚を設置するため改築された。同様の大きなバラ窓はサン・ドニ大聖堂とアミアン大聖堂の身廊にも追加された[3]。ガラスを区切る石製の方立と、鉛製のリブによる補強により、窓はより大きく、より強靭になり、強い風にも耐えられるようになった。レイヨナン式のバラ窓は直径10mにも及んだ[13]

盲トレーサリー 編集

窓のトレーサリーはレイヨナン式装飾のほかの部位にも影響をあたえた。盲トレーサリー(blind tracery)、あるいは細いリブの網は壁の空白を装飾的なデザインで覆うことを可能にし、デザインを窓のそれに調和させた。

彫刻 編集

彫刻はロマネスク建築の時代より、大聖堂のファサードを装飾する重要な要素であり、聖人聖家族の石彫がファサードやティンパヌムにあしらわれた。レイヨナン式の時代には、彫刻は写実的かつ立体的なものとなっており、ファサードの壁龕で人目をひいていた。彫刻の顔立ちや姿勢も自然で、衣装も精巧に作られている。また、柱頭を飾る葉や植物といった、その他の装飾彫刻も、より現実主義的なものになった[2]

ロレンツォ・マイターニ英語版が設計したオルヴィエート大聖堂のファサードなどにみられるよう、イタリアのゴシック教会の装飾彫刻は非常に精巧で、青銅や大理石でつくられた像、モザイク、多色レリーフと組み合わさった。これは、ルネサンス建築のはじまりを予感させるものであった。

その他の装飾 編集

外壁や内装に石彫装飾が施されていることもレイヨナン式の目立つ特徴である。フルーロン、小尖塔フィニアル英語版など、出入り口からバットレスまであらゆる場所に高さを与える装飾が施された。また、これらの装飾には構造上の目的もあり、バットレスなどの外部構造物に重量を与えた[14]

クロケット英語版は、丸まった葉や蕾、花を意匠化した装飾であり、尖塔、小尖塔、フィニアル、ヴィンパーク英語版の傾斜した縁を装飾するために一定間隔であしらわれた[15]

変遷 編集

レイヨナン式からフランボワイヤン式への移行は漸進的であり、主にS字型曲線を基調とするトレーサリーの文様(この意匠が揺らめく炎のようにみえることが「フランボワイヤン」の名前の由来である)への移行に特徴づけられる。しかし、百年戦争や、14世紀にヨーロッパが経験したさまざまな不遇のために、大規模な建造事業はほとんどおこなわれず、レイヨナン式のいくつかの要素は次世紀も流行し続けた。

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k Style レイヨナン式 - ブリタニカ百科事典
  2. ^ a b c d e f g h i j art レイヨナン式 - ブリタニカ百科事典
  3. ^ a b c d e Gothique” (フランス語). Encyclopédie Larousse. 2020年9月6日閲覧。
  4. ^ Louis IX” (フランス語). Encyclopédie Larousse. 2020年9月6日閲覧。
  5. ^ a b Mignon 2015, p. 28-29.
  6. ^ a b c Trintignac & Coloni 1984, p. 34-41.
  7. ^ Mignon 2015, p. 32.
  8. ^ a b Smith, A. Freeman, English Church Architecture of the Middle Ages (1922), pp. 45–47
  9. ^ Timeline - Lincoln Cathedral”. 2018年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月4日閲覧。
  10. ^ glass レイヨナン式 - ブリタニカ百科事典
  11. ^ Mignon 2015, p. 40.
  12. ^ Renault & Lazé 2006, p. 36.
  13. ^ Ducher 2014, p. 46.
  14. ^ Ducher 2014, p. 52-56.
  15. ^ レイヨナン式 - ブリタニカ百科事典

参考文献 編集

  • Robert Branner英語版, Paris and the Origins of Rayonnant Gothic Architecture down to 1240 ; The Art Bulletin, Vol. 44, No. 1 (Mar., 1962), pp. 39-51; JSTOR
  • Bony, Jean (1983). French Gothic Architecture of the Twelfth and Thirteenth Centuries. University of California Press英語版. ISBN 978-0-520-02831-9. https://books.google.com/books?id=k7ytJ-gXonMC 
  • Ducher, Robert (2014) (フランス語). Caractéristique des Styles. Flammarion. ISBN 978-2-0813-4383-2 
  • Gothic Architecture, Paul Frankl (revised by Paul Crossley), Yale, 2000
  • Smith, A. Freeman, English Church Architecture of the Middle Ages - an Elementary Handbook (1922), T. Fisher Unwin, Ltd., London (1922) (Full text available on Project Gutenberg)
  • Mignon, Olivier (2015) (フランス語). Architecture des Cathédrales Gothiques. Éditions Ouest-France. ISBN 978-2-7373-6535-5 
  • Renault, Christophe; Lazé, Christophe (2006) (フランス語). Les Styles de l'architecture et du mobilier. Gisserot. ISBN 9-782877-474658 
  • Trintignac, Andrei; Coloni, Marie-Jeanne (1984). Decouvrir Notre-Dame der Paris. Les Editions du Cerf. ISBN 2-204-02087-7 
  • The Gothic Cathedral, Christopher Wilson, London, 1990, especially p. 120ff

外部リンク 編集