レッドブラフ (カリフォルニア州)

アメリカ合衆国のカリフォルニア州テハマ郡の郡庁所在地

レッドブラフ英語: Red Bluff)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部テハマ郡の都市であり同郡の郡庁所在地である。2000年国勢調査での人口は13,147人だったが、2010年では14,076人となり、7%増加した[1]

レッドブラフ
City of Red Bluff
コーン & キンボール・プラザ時計塔
コーン & キンボール・プラザ時計塔
位置
カリフォルニア州におけるテハマ郡(左図)およびレッドブラフの位置の位置図
カリフォルニア州におけるテハマ郡(左図)およびレッドブラフの位置
座標 : 北緯40度10分36秒 西経122度14分17秒 / 北緯40.17667度 西経122.23806度 / 40.17667; -122.23806
歴史
1876年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
  テハマ郡
レッドブラフ
City of Red Bluff
地理
面積  
  域 19.6 km2 (7.5 mi2)
    陸上   19.3 km2 (7.4 mi2)
    水面   0.3 km2 (0.1 mi2)
      水面面積比率     1.59%
標高 93 m (305 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  域 14076人
    人口密度   710人/km2(1800人/mi2
  備考 [1]
その他
等時帯 太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間 太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : City of Red Bluff

レッドブラフ市はレディングから南に30マイル (48 km)、チコの北西40マイル (64 km)、州都サクラメントの北125マイル (201 km) に位置する。シャスタ・カスケードの中では3番目に大きな都市である。

歴史 編集

レッドブラフの町が建設されたサクラメント川岸に沿った地帯には昔からノムラキ族インディアンが住んでいた。この地域のインディアンは1830年代初期にマラリアが流行した時に、その大半が死んでしまった。1840年代に白人が到着したときは、ヤナ族とウィンタン族インディアンが住んでいた。

1808年にスペインの士官ガブリエル・モラハがサクラメント・バレーの南側を探検したが、ヨーロッパ人がレッドブラフ地域を訪れたと記録されたのは1821年のルイス・アントニオ・アルヘロの探検隊が初めてだった。1828年4月10日、ジェデディア・スミスオレゴンに向かう途中でここを通過した。1843年、ピーター・ラッセン、ジョン・ビッドウェルおよびジョン・バーハイムが馬泥棒を追跡する過程でこの地に来た。ラッセンはその後メキシコの土地特許を申請した。現在のレッドブラフがある地域で最初の家屋は1849年後半にジョン・マイアーズが建てたアドベ(日干し煉瓦)小屋であり、マイアーズはそれを短期間ホテルとして運営した。翌年春クーパーがそこに小さなアドベ小屋を建て、A・M・ディブルがそこから1マイル (1.6 km) 北に別のアドベ製ホテルを建てた。このアドベはウィリアム・B・アイドに関連付けられているがこれは間違いで、その家屋はレッドブラフの南にあった。1850年、サシェル・ウッズとチャールズ・L・ウィルソンがレオドシアと呼ぶ町の配置を決め始めたときに町としての歴史が始まった。1854年まではレオドシア、さらにコバーツバーグと呼ばれていたが、この年作られた地図にはレッドブラフという名前が記された。

1851年、現在リーズ・クリークと呼ばれるクリークがサクラメント川に入る所近くにエルブリッジ・G・リードがホテルを建てて経営を始め、その後の時代に大きな成功を収めた。レッドブラフは航行可能な川の最高点にあったので、間もなく繁栄を始め、北部の鉱山で鉱業が盛況を極めた初期には大きな出発点となる町になり、大量の輸送貨物が扱われ、荷馬車隊が動いた。その後鉱山での活動が落ち目になるとともに町は衰退したが、1870年代初期に鉄道が敷かれて復活した。1854年のレッドブラフの人口は1,000人であり、1860年にはそれが約2倍になった。1856年にテハマ郡が創設され、テハマの町に郡庁所在地を持っていこうという強力な動きがあったが、1857年3月にレッドブラフが郡庁所在地に選ばれた。

レッドブラフは1876年に市制を布いた。

地理 編集

レッドブラフは北緯40度10分36秒 西経122度14分17秒 / 北緯40.17667度 西経122.23806度 / 40.17667; -122.23806に位置する[2]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は7.6平方マイル (19.6 km2)であり、このうち陸地は7.4平方マイル (19.2 km2)、水域は0.1平方マイル (0.3 km2)で水域率は1.59%である。

気候 編集

レッドブラフの気候は雨の多い冬と暑く乾燥した夏が特徴である。1月の平均最高気温は 54.7°F(12.6℃)、最低気温は 37.0°F(2.8℃) である。7月の平均最高気温は 97.9°F(36.6℃)、最低気温は 65.6°F(18.7℃) である。年間平均で 90°F(32℃) 以上になるのが100.1日、32°F(0℃) 以下になるのが21.5日ある。過去最高気温は1981年8月7日の 121°F(49.4℃)、最低気温は1937年1月9日の 17°F(−8.3℃) だった。年間平均降水量は23.21インチ (590 mm) であり、計測可能な降水日は平均して年間71日ある。最も降水量の多かった年は1983年の52.98インチ (1,346 mm)、最も少なかった年は1976年の7.20インチ (183 mm) だった。1ヶ月間の降水量が最も多かったのは1995年1月の21.47インチ (545 mm)、24時間雨量で最も多かったのは1995年1月8日の3.55インチ (90 mm) だった。降雪量は年平均2.1インチ (5.3 cm) である。最も降雪量が多かったのは1972年の15.6インチ (40 cm) だった。1ヶ月間の降雪量が最も多かったのは1937年1月の15.0インチ (38 cm) だった[3]

人口動態 編集

以下は2000年国勢調査による人口統計データである。

基礎データ

  • 人口: 13,147人(2006年では17,294人)
  • 世帯数: 5,109世帯
  • 家族数: 3,239家族
  • 人口密度: 683.2人/km2(1,768.7人/mi2
  • 住居数: 5,567軒
  • 住居密度: 289.3軒/km2(748.9軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 28.7%
  • 18-24歳: 9.9%
  • 25-44歳: 28.6%
  • 45-64歳: 18.0%
  • 65歳以上: 14.7%
  • 年齢の中央値: 34歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 90.1
    • 18歳以上: 84.1

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 36.2%
  • 結婚・同居している夫婦: 42.4%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 16.5%
  • 非家族世帯: 36.6%
  • 単身世帯: 30.7%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 14.0%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.47人
    • 家族: 3.07人

収入 編集

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 27,029米ドル
    • 家族: 32,799米ドル
    • 性別
      • 男性: 26,807米ドル
      • 女性: 21,048米ドル
  • 人口1人あたり収入: 14,060米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 21.1%
    • 対家族数: 17.7%
    • 18歳未満: 29.6%
    • 65歳以上: 9.7%

行事 編集

  • 毎年開催されるレッドブラフ・ラウンドアップは1926年から始まっており[5]、西部でも最大級のロデオになってきた。その人気がある雄牛競技会で国内に知られている。
  • テハマ・パルスはレッドブラフを含むテハマ郡のイベント・カレンダーを掲載するウェブサイトである[6]

メディア 編集

  • レッドブラフ・デイリーニューズ
  • レディング・レコード・サーチライト社がレッドブラフ住人向けに「テハマ・トゥデイ」と呼ぶ週刊紙を発行している。レコード・サーチライト紙の日曜版に含まれている。

著名な出身者と住人 編集

脚注 編集

外部リンク 編集