レフティ・グローブ

アメリカ合衆国の野球選手 (1900-1975)

ロバート・モーゼス・グローブRobert Moses "Lefty" Grove, 1900年3月6日 - 1975年5月22日[1])は、アメリカ合衆国メリーランド州出身のプロ野球選手投手)。左投左打。

レフティ・グローブ
Lefty Grove
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州
生年月日 1900年3月6日
没年月日 (1975-05-22) 1975年5月22日(75歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
初出場 1925年4月14日
最終出場 1941年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1947年
得票率 76.40%
選出方法 BBWAA[:en]選出

速球のあまりの速さから、煙のように見えない「スモークボール」と呼ばれた。史上最多となる最優秀防御率9回を獲得し、25歳でメジャーデビューしてから実働17年で300勝を挙げ、しばしば「史上最高の左投手」として名前が挙げられる[2]

経歴 編集

1920年、マイナーリーグのボルチモア球団に入団。5年間在籍したが、その間に112勝もの勝ち星を上げ、毎年インターナショナルリーグの最多奪三振投手になっていた。メジャーリーグからもオファーがあったが、チームのオーナーがずっとグローブの放出を拒んでいた。しかし1925年フィラデルフィア・アスレチックスが当時としては史上最高額となる10万500ドルの移籍金を払ってグローブを支配下選手とした。同年4月にメジャーデビュー。1年目は怪我もあって成績は10勝12敗だったが、リーグ最多の奪三振116を挙げる。

デビューから2年目には最優秀防御率を記録したのに加えて、4年目の1928年には初の最多勝利を記録。また、7年連続でリーグ最多の奪三振投手となった。1930年1931年には二年連続で勝利数、防御率、奪三振の投手三冠に輝くなど、アスレチックスのリーグ3連覇(1929年1931年)に大きく貢献した。とくに、1930年はセーブ数と勝率もトップと活躍し、投手三冠王とセーブ王の同時獲得はクリスティ・マシューソン以来の快挙で投手全タイトル制覇(当時はタイトルではないものもある)を達成し、勝率でもトップになったため、チャールズ・ラドボーン以来の投手主要5部門制覇(投手五冠王)を達成した。

当時のアスレチックスは野手陣が充実していたこともグローブの成績を後押しした(詳しくはアスレチックスの項参照)。グローブは「投手がいい成績を残すコツは2つある。1つは体調を整えること。もう1つは肩の強い内野手と足の速い外野手をそろえることさ」と語っている。

1931年には日米野球で来日。のちに阪神タイガースの初代主将となる松木謙治郎(当時明治大)は著書「タイガースの生いたち―阪神球団史」の中で、グローブについて「ボールがキャッチャーミットに収まってから振る打者もいるようなありさまで、速球にはいくぶんの自信を持っていた私も、対戦した最初の3打席は三振。4打席目でやっとバットに当てたが、三塁へのファウルフライに終わった。」と記している。このとき、「グローブ君、投げました。あっ、球が速くて見えません!」という有名な実況が流れている。

1934年、球団の財政難のためボストン・レッドソックストレードされる。その年は再び腕の怪我を負い8勝に終わったが、翌1935年には最優秀防御率2.70に20勝をマークし復活。最優秀防御率に輝いたシーズンは、アスレチックス時代に5度、レッドソックス時代に4度と、実に9度にもなった。

1941年、41歳で現役引退。

1947年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1975年オハイオ州で死去。

投手としての球種はカーブ、フォーク(キャリア後半) 「米書 guide to pitchers より」[要文献特定詳細情報])。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1925 PHA 45 18 5 0 - 10 12 1 - .455 908 197.0 207 11 131 - 5 116 9 0 120 104 4.75 1.72
1926 45 33 20 1 - 13 13 6 - .500 1072 258.0 227 6 101 - 6 194 5 0 97 72 2.51 1.27
1927 51 28 14 1 - 20 13 9 - .606 1106 262.1 251 6 79 - 2 174 5 1 116 93 3.19 1.26
1928 39 31 24 4 - 24 8 4 - .750 1106 261.2 228 10 64 - 1 183 4 0 93 75 2.58 1.12
1929 42 37 19 2 - 20 6 4 - .769 1168 275.1 278 8 81 - 3 170 8 0 104 86 2.81 1.30
1930 50 32 22 2 - 28 5 9 - .848 1191 291.0 273 8 60 - 5 209 2 0 101 82 2.54 1.14
1931 41 30 27 4 - 31 4 5 - .886 1160 288.2 249 10 62 - 1 175 2 0 84 66 2.06 1.08
1932 44 30 27 4 - 25 10 7 - .714 1207 291.2 269 13 79 - 1 188 0 0 101 92 2.84 1.19
1933 45 28 21 2 - 24 8 6 - .750 1173 275.1 280 12 83 - 4 114 1 0 113 98 3.20 1.32
1934 BOS 22 12 5 0 - 8 8 0 - .500 506 109.1 149 5 32 - 1 43 1 0 84 79 6.50 1.66
1935 35 30 23 2 - 20 12 1 - .625 1137 273.0 269 6 65 - 3 121 2 0 105 82 2.70 1.22
1936 35 30 22 6 - 17 12 2 - .586 1049 253.1 237 14 65 - 4 130 0 0 90 79 2.81 1.19
1937 32 32 21 3 - 17 9 0 - .654 1127 262.0 269 9 83 - 1 153 5 0 101 88 3.02 1.34
1938 24 21 12 1 - 14 4 1 - .778 706 163.2 169 8 52 - 1 99 3 0 65 56 3.08 1.35
1939 23 23 17 2 - 15 4 0 - .789 798 191.0 180 8 58 - 1 81 0 0 63 54 2.54 1.25
1940 22 21 9 1 - 7 6 0 - .538 652 153.1 159 20 50 - 1 62 1 0 73 68 3.99 1.36
1941 21 21 10 0 - 7 7 0 - .500 598 134.0 155 8 42 - 2 54 3 0 84 65 4.37 1.47
通算:17年 616 457 298 35 - 300 141 55 - .680 16622 3940.2 3849 162 1187 - 42 2266 51 1 1594 1339 3.06 1.28

打撃成績 編集

  • 通算成績:619試合、1369打数202安打、本塁打15、打点121、打率.148

獲得タイトル 編集

  • 最多勝:4回(1928年、1930年、1931年、1933年)
  • 最優秀防御率:9回(1926年、1929年 - 1932年、1935年、1936年、1938年、1939年)※9回は歴代1位
  • 最多奪三振:7回(1925年 - 1931年)
  • 最多セーブ:1回(1930年)

表彰 編集

記録 編集

  • 投手三冠:2回(1930年、1931年)
  • 投手全タイトル制覇(1930年)
  • 投手五冠王(1930年)
  • 1イニングで三者連続三球三振を複数回達成[3]
  • 近代野球(1901年以降)における左投手のMLBシーズン最多勝利:31勝(1931年)
  • ワールドシリーズ出場:3回(1929年 - 1931年)

脚注 編集

  1. ^
  2. ^ The greatest pitcher of all time?” (英語). ESPN.com (2014年3月7日). 2018年6月21日閲覧。
  3. ^ Max Scherzer becomes fifth ever with two career immaculate innings” (英語). ESPN.com (2018年6月6日). 2018年6月8日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集