ロニー・スコット (ソングライター)

イギリスの作曲家

ロニー・スコット(Ronnie Scott)は、イギリスポップ・ミュージックプロモーター、グループ・マネージャー、ソングライターで、おもに1960年代マーティー・ワイルドと、1970年代にスティーヴ・ウルフ (Steve Wolfe) と組んで書いた楽曲のヒットによって知られている[1]

マーティー・ワイルドとの共作 編集

1966年、スコットが勤めていた芸能事務所ジョージ・クーパー・エージェンシー (The George Cooper Agency) には、彼がマネージャーだったザ・バイスタンダーズ(The Bystanders:Manの前身バンド)や、マーティー・ワイルドが所属していた[2]。スコットは多数の楽曲を書き、中には単独で書いたものもあったが、大部分はワイルドとの共作であり、できあがった楽曲のデモテープはザ・バイスタンダーズが録音していた。そのうち、単独で書いた「Royal Blue Summer Sunshine Day」(1967年)と、共作した2曲「Have I Offended The Girl」(1966年)と「When Jesamine Goes」(1968年:Frere Manston and Jack Gellar という変名で発表)がシングルとして発売されたが、いずれもヒットしなかった[3]。このうち「When Jesamine Goes」は、ザ・カジュアルズ英語版カバーし、曲名を「Jesamine」として発表したところ、1969年の遅い時期に全英シングルチャートで最高2位まで上昇した[4]

スコットとワイルドが共作した楽曲は、幅広く様々なミュージシャンたちが取り上げており、ステイタス・クォーの2枚目のアルバム『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』に収録された「Ice in the Sun」、「Elizabeth Dreams」、「Paradise Flat」や、ルルの「I'm a Tiger」(1968年)、ワイルド自身の「Abergavenny」(1968年:作者として Manston と Gellar もクレジットされており、1969年にはワイルドが Shannon 名義でリイシューした)。

ワイルドとスコットは、1970年3月18日に『The Wednesday Play』の番組枠で放送されたアラン・オーウェン英語版のテレビ劇『No Trams to Lime Street』で使用した楽曲を作詞作曲した[5]

ザ・バイスタンダーズは再編されてマン英語版に発展したが、スコットはそのままマネージャーを続け、彼らは週に3回のセッションを続け、その中から、ステイタス・クォーの求めに応じて提供した「Down the Dustpipe」などが生まれた[6]。マンは、1969年にスコットのマネジメントから離れた。

スティーヴ・ウルフとの共作 編集

1976年、スコットはスティーヴ・ウルフと共同で、ソングライティングとプロデュースのチームを組み、ウェールズスウォンジーにあったザ・タウンズマン・クラブ (The Townsman Club) でボニー・タイラーを見出して、彼女のマネージャー、ソングライター、プロデューサーを2人で務めた[7]

スコットとウルフは、タイラーの1977年のファースト・アルバム『The World Starts Tonight』に収められた10曲中8曲を書き、プロデュースもした。このアルバムに収められた「Lost in France」は全英シングルチャートで最高9位となり、「More Than a Lover」は最高27位に達した[8]

タイラーの1978年の2枚目のアルバム『Natural Force』(合衆国では『It's a Heartache』)には5曲のスコット/ウルフの楽曲が収録され、そのうち「イッツ・ア・ハートエイク (It's a Heartache)」はイギリスで4位[8]アメリカ合衆国Billboard Hot 100では3位に達したが、これより早く1977年にはジュース・ニュートンがこの曲を取り上げていた。この曲は、以降いろいろなミュージシャンたちにカバーされ、デイヴ&シュガー英語版トリック・ポニー英語版ロッド・スチュワートらがこの曲を取り上げた。

スコットとウルフは、タイラーの1979年のアルバム『Diamond Cut』の10曲中8曲を書き、1981年のアルバム『Goodbye to the Island』では10曲中6曲を書いた。後者には、やはりスコットとウルフの作品で、1979年日本世界歌謡祭でグランプリに輝いた「哀しみのオーシャン (Sitting on the Edge of the Ocean)」[9]も収録された[10]

ボニー・タイラーは、スコットとウルフとの契約を更新しなかったが、その理由は、ふたりが「彼女の将来をさらにカントリー・ミュージックの方向に進めようとしている」と彼女が感じとったからであった[7]

脚注 編集

  1. ^ Chartwatch list of Scott's Top 10 records Retrieved 17 September 2009
  2. ^ Allmusic biography of The Bystanders, by Richie Unterberger Retrieved 17 September 2009
  3. ^ Sleevenotes by Nigel Lees to "Shapes and Sounds 2 - Shades of Deepest Purple from the BBC Archives 1967-1971" - Top Sounds TSSCD 003 (2008)
  4. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 97. ISBN 1-904994-10-5 
  5. ^ Radio Times article by Elizabeth Cowley, 12 March 1970, in Startrader history of the Wednesday Play Retrieved 17 September 2009
  6. ^ Leonard, Deke (1996). Rhinos, Winos & Lunatics: The legend of Man a rock'n'roll band (1st ed.). Borden, Hants: Northdown Publishing Ltd. p. 18. ISBN 1-900711-00-1 
  7. ^ a b Bonnie Tyler Official Biography Archived 2009-10-15 at the Wayback Machine. Retrieved 17 September 2009
  8. ^ a b Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 572. ISBN 1-904994-10-5 
  9. ^ 第10回世界歌謡祭 World Popular Song Festival in Tokyo '79”. ヤマハ音楽振興会. 2018年9月15日閲覧。
  10. ^ Bonnie Tyler – Goodbye To The Island - Discogs (発売一覧)