ロバート・アイケルバーガー

ロバート・ローレンス・アイケルバーガー(Robert Lawrence Eichelberger, 1886年3月9日 - 1961年9月25日)は、アメリカ合衆国陸軍軍人

ロバート・アイケルバーガー
Robert Lawrence Eichelberger
ロバート・アイケルバーガー
生誕 1886年3月9日
オハイオ州アーバナ
死没 (1961-09-25) 1961年9月25日(75歳没)
ノースカロライナ州アッシュビル
所属組織 アメリカ合衆国陸軍の旗 アメリカ陸軍
軍歴 1909 - 1948
最終階級 陸軍大将
指揮 第8軍司令官
第1軍団司令官
第77歩兵師団長
戦闘 第一次世界大戦
シベリア出兵
第二次世界大戦
*ブナ・ゴナの戦い
*ビアク島の戦い
*レイテ島の戦い
*ルソン島の戦い
*ビサヤ諸島の戦い
*ミンダナオ島の戦い
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退役後に大将まで昇進した。

著書に『東京へのいばらの道』がある。

概要 編集

太平洋戦争において設置された合衆国陸軍第8軍の初代司令官となり、第8軍による対日戦および日本占領を指揮する。離任前には日本の再武装を主張し、民政局極東委員会と対立。在任中には再武装には至らなかったものの、海上保安庁の設置を実現させる。

直属上官である最高司令官ダグラス・マッカーサーと表立っては対立しなかったものの、マッカーサーを辛辣に批判する日記が遺されている。

経歴 編集

栄典 編集

逸話 編集

  • 日本の占領期には、マッカーサーに次ぐ占領軍のナンバー2であった。温厚な人柄で日本政府からの信頼も厚く、マッカーサーとの交渉が難航した際にアイケルバーガーが間に入る「アイケルバーガールート」が機能したとされる。
  • 片山内閣芦田均外相が、終戦連絡横浜事務局長鈴木九萬を通じてアイケルバーガーに送った「芦田メモ」には、日本の安全保障を米国に委ねる旨が記されており、日米安保体制の原型となった。[1]
  • 1947年、地方巡幸中の昭和天皇を乗せたお召し列車と、アイケルバーガー中将を乗せた連合軍専用列車碓氷峠で行き違いをすることになり、RTO(Railway Transportation Office)の命令により、お召し列車側が5分間退避させられたというエピソードがある。
  • 軽井沢滞在中、洋画家の荒井陸男を訪ね肖像画を描かせたと伝えられる[2]

出典 編集

関連項目 編集