ロバート・シャップランド・カリュー

ロバート・シャップランド・カリュー英語: Robert Shapland Carew1752年6月20日1829年3月29日)は、アイルランド王国出身の政治家。1776年から1800年までアイルランド庶民院議員を、1806年から1807年まで連合王国庶民院議員を務めた[1]

生涯 編集

シャップランド・カリュー(1716年 – 1780年10月、ロバート・カリューの息子)と妻ドロシー(Dorothy、旧姓ドブソン(Dobson)、1784年ごろ没、アイザック・ドブソンの娘)の息子として、1752年6月20日に生まれ、23日に洗礼を受けた[1][2][3]。1765年から1767年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1769年にダブリン大学トリニティ・カレッジに、1772年にミドル・テンプルに進学した[4]

1776年から1800年までウォーターフォード・シティ選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。アイルランド庶民院ではグレートブリテン王国との合同に強く反対した[5]。息子の初代カリュー男爵ロバート・シャップランド・カリューによれば、後に合同賛成に転じて、政府から叙爵を打診されたが、トーリー党政権からの褒賞だったことと、それまで合同に反対したことを理由として拒否したという[6]。合同法の成立に伴い、ウォーターフォード選挙区の定数が1人に減らされ、カリューは連合王国庶民院におけるウォーターフォード代表を選ぶ投票で敗れて議席を失った[5]。カリューははじめ議席の奪回を目指したが、後に自身の返り咲きを諦め、姉妹の夫にあたる初代準男爵サー・ジョン・ニューポート英語版を支持した[5]

1806年イギリス総選挙ではカウンティ・ウェックスフォード選挙区英語版から出馬した[7]。カリューは同じくウェックスフォード県の地主であるジョン・コルクラウJohn Colclough)と手を組み、さらにグレンヴィル男爵内閣英語版の支持も得たため、現職議員アベル・ラム英語版を退けて当選した[4][7]。連合王国庶民院では演説しなかったが、投票では常にグレンヴィル男爵内閣を支持した[4]。そのため、ホイッグ党支持とされた[7]

1807年イギリス総選挙では健康上の理由により出馬せず[4]ウィリアム・コングリーヴ・アルコック英語版を支持した[7]

1829年3月29日に死去、息子ロバート・シャップランドが遺産を継承した[2]

家族 編集

1783年5月、アン・ピゴット(Anne Pigott、リチャード・ピゴットの娘)と結婚、1男3女をもうけた[2]

  • ロバート・シャップランド(1787年3月9日 – 1892年6月6日) - 初代カリュー男爵[2]
  • ドロシア(1865年1月3日没) - 1809年、庶民院議員リチャード・パワー(1775年? – 1834年3月12日)と結婚、子供あり[2][8]
  • エリザベス・アン(1877年3月19日没) - 1814年、ウィリアム・ブラッカー(William Blacker)と結婚、子供あり[2]
  • エレン(1867年11月13日没) - 生涯未婚[2]

出典 編集

  1. ^ a b c "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2021年12月22日閲覧
  2. ^ a b c d e f g Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 393.
  3. ^ Longfield, Ada Kathleen, ed. (1946). The Shapland Carew Papers (英語). Dublin: Stationery Office. p. 210.
  4. ^ a b c d Jupp, P. J. (1986). "CAREW, Robert Shapland I (1752-1829), of Castleborough, co. Wexford.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年12月22日閲覧
  5. ^ a b c Jupp, P. J. (1986). "Waterford". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年12月22日閲覧
  6. ^ Salmon, Philip (2009). "CAREW, Robert Shapland (1787-1856), of Castleborough, co. Wexford". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年12月26日閲覧
  7. ^ a b c d Jupp, P. J. (1986). "Co. Wexford". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年12月22日閲覧
  8. ^ Salmon, Philip (2009). "POWER, Richard (?1775-1834), of Clashmore House, co. Waterford". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年12月22日閲覧
アイルランド議会
先代
コーネリアス・ボルトン(父)英語版
シャップランド・カリュー
庶民院議員(ウォーターフォード・シティ選挙区英語版選出)
1776年 – 1800年
同職:コーネリアス・ボルトン(子)英語版 1776年 – 1783年
ヘンリー・アルコック英語版 1783年 – 1797年
ウィリアム・コングリーヴ・アルコック英語版 1798年 – 1800年
次代
連合王国議会
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
シーザー・コルクラウ
アベル・ラム英語版
庶民院議員(カウンティ・ウェックスフォード選挙区英語版選出)
1806年1807年
同職:ジョン・コルクラウ
次代
アベル・ラム英語版
ウィリアム・コングリーヴ・アルコック英語版