ローラン・ファビウス

フランスの首相

ローラン・ファビウスロラン・ファビュースとも、フランス語: Laurent Fabius[1]1946年8月20日 - )は、フランスの政治家。社会党所属。

ローラン・ファビウス
Laurent Fabius
2017年10月27日
生年月日 (1946-08-20) 1946年8月20日(77歳)
出生地 フランス パリ16区
出身校 高等師範学校卒業
パリ政治学院卒業
国立行政学院卒業
前職 国務院調査官
所属政党 社会党
配偶者 フランソワーズ・カストロ(1981 - 2002)
マリー・フランスマーチャンド・ベイレット(2002 - )
子女 トーマス・ファビウス
公式サイト Laurent Fabius

内閣 第1次ジャン=マルク・エロー内閣
第2次ジャン=マルク・エロー内閣
第1次マニュエル・ヴァルス内閣
第2次マニュエル・ヴァルス内閣
在任期間 2012年5月16日 - 2016年2月11日
大統領 フランソワ・オランド

内閣 リオネル・ジョスパン内閣
在任期間 2000年3月27日 - 2002年5月6日
大統領 ジャック・シラク

在任期間 1988年6月23日 - 1992年1月21日
1997年6月12日 - 2000年3月27日
大統領 フランソワ・ミッテラン
ジャック・シラク

内閣 ローラン・ファビウス内閣
在任期間 1984年7月17日 - 1986年3月20日
大統領 フランソワ・ミッテラン

その他の職歴
フランスの旗 産業・研究大臣
1983年3月22日 - 1984年7月17日
フランスの旗 経済・財務大臣付
予算担当大臣

1981年5月22日 - 1983年3月22日
フランスの旗 国民議会議員
2012年6月20日 - 2012年7月21日
2002年6月19日 - 2012年6月4日
1986年4月2日 - 2000年4月27日
1978年4月3日 - 1981年7月23日
フランスの旗 ル・グラン=ケヴィイー市長
1995年6月19日 - 2000年3月30日
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両親はアシュケナジムユダヤ人で、後にカトリックに改宗している。

来歴 編集

1946年8月20日にパリの高級住宅街16区に誕生する。

16区にある名門公立リセ・ジャンソン=ドゥ=サイイに通学し、バカロレア合格後、リセ・ルイ=ル=グラングランゼコール準備級に通う。

高等師範学校に入学し、近代文学のアグレガシオンを取得した。

パリ政治学院(シアンスポ)、国立行政学院(ENA、エナ)の政官界のエリートコースを卒業する。

1974年社会党に入党する。ミッテラン第一書記の経済顧問を務め、「ミッテランの秘蔵っ子」と呼ばれる。

1981年5月、ミッテラン政権発足と共に、予算担当相に就任する。

1983年には産業・研究相に就任し、さらに1984年7月にはナポレオン1世以来の最年少である37歳で首相に就任した。なお、この記録は2024年1月9日に首相に就任したガブリエル・アタルにより40年ぶりに破られた。

1981年より続いていた同政権の社会主義的政策を急転換させ、緊縮財政市場経済重視の政策を行なった。

1985年予算案は経済再建を軸にした超緊縮型予算で、歳入面では所得税・法人税の減税、社会保障関係の国民・企業負担の軽減、社会保障支出削減が打ち出された。

インフレ政策は成功し、1981年に14パーセントを記録したインフレ率も、1985年には5パーセント以下となった。

ただ、失業者対策は完全に破綻し、1980年から1985年の間に失業者の数は約75万人増加した。1985年には失業率は10.4パーセント、失業者の数は300万人に達した。

在任中はミッテラン大統領よりも人気があったが、1986年3月の国民議会選挙で社会党が敗北し、首相を辞任した。

1988年6月から3年間、国民議会議長を務める。

1992年1月、社会党第一書記に就任する。その後、首相在任中の薬害エイズ事件の罪で起訴されたが、2000年3月、ジョスパン政権で経済・財務・産業相に就任し、政治的復活を果たした。

1995年から2000年までル・グラン=ケヴィイー市長を務める。

2005年欧州憲法批准問題では社会党が批准に賛成する方針であったが、ファビウスは反対に回った。

2007年フランス大統領選挙では、社会党の大統領選挙候補者に立候補したが、2006年11月党大会でファビウス、セゴレーヌ・ロワイヤルドミニク・ストロス=カーンによる選挙の結果、ロワイヤルが公認候補者となった。

2012年に発足したフランソワ・オランド政権では5月16日付で外相に就任し、2016年2月11日まで務めた。

2024年3月現在、存命のフランスの行政の長(首相・大統領)の経験者としては最古参となっている(最高齢は第14代首相のエドゥアール・バラデュール、大統領はいずれも21世紀になってから就任)。

栄典 編集

脚注 編集

関連項目 編集

  • ムルロア環礁 - 首相時代に、地下核実験場の安全性をアピールするために遊泳するパフォーマンスをしたことがある。
  • バカロレア - 難しいとされる有名なバカロレアの哲学で、満点の20点を取っている[1]

外部リンク 編集

公職
先代
ジャン・ルイ・ドブレ
  憲法評議会議長
2016年3月8日 -
次代
現職
先代
モーリス・パポン
予算大臣
  経済・財務大臣付
予算担当大臣

1981年5月22日 - 1983年3月22日
次代
アンリ・エマニュエリ
経済・財務・予算大臣付
予算担当副大臣
先代
ジャン=ピエール・シュヴェーヌマン
国務大臣
研究・産業大臣
  産業・研究大臣
1983年3月22日 - 1984年7月17日
次代
エディット・クレッソン
産業再編・貿易大臣
次代
ユベール・キュリアンフランス語版
研究・科学技術大臣
先代
ピエール・モーロワ
  フランス首相
第9代:1984年7月17日 - 1986年3月20日
次代
ジャック・シラク
先代
トニー・ラリュフランス語版
ル・グラン=ケヴィイー市長
1995年6月19日 - 2000年3月30日
次代
マルク・マシオンフランス語版
先代
クリスチャン・ソテールフランス語版
  フランス経済・財務・産業大臣
第21代:2000年3月27日 - 2002年5月6日
次代
フランシス・メールフランス語版
先代
アラン・ジュペ
国務大臣
外務・ヨーロッパ問題大臣
  フランス外務・国際開発大臣
第22代:2012年5月16日 - 2016年2月11日
次代
ジャン=マルク・エロー
議会
先代
ジャック・シャバン=デルマス
  フランス国民議会議長
第7代:1988年6月23日 - 1992年1月21日
次代
アンリ・エマニュエリ
先代
フィリップ・セガン
  フランス国民議会議長
第10代:1997年6月12日 - 2000年3月27日
次代
レーモン・フォルニフランス語版
党職
先代
ピエール・モーロワ
社会党第一書記
1992年1月9日 - 1993年4月3日
次代
ミシェル・ロカール
先代
マルタン・マルヴィフランス語版
国民議会社会党グループ会長
1995年10月3日 - 1997年4月21日
次代
ジャン=マルク・エロー
  1. ^ エクスプレス誌のサイト http://www.lexpress.fr/actualite/politique/bac-de-philo-12-pour-peillon-20-pour-fabius-17-pour-montebourg-les-notes-des-ministres_1258017.html