ワフジール峠(ワフジールとうげ、Wakhjir Pass[1], Vakhjir Pass)は、ヒンドゥークシュ山脈およびパミール高原を越えるであり、アフガニスタン中国を結ぶ唯一の経路であるワハーン回廊上にある。

ワフジール峠
ワフジール峠の手前の谷。オーレル・スタイン撮影
所在地 アフガニスタンの旗 アフガニスタン バダフシャーン州中華人民共和国の旗 中国 新疆ウイグル自治区
座標 北緯37度05分14秒 東経74度29分03秒 / 北緯37.08722度 東経74.48417度 / 37.08722; 74.48417座標: 北緯37度05分14秒 東経74度29分03秒 / 北緯37.08722度 東経74.48417度 / 37.08722; 74.48417
標高 4923 m
山系 パミール高原
ワフジール峠の位置(アフガニスタン内)
ワフジール峠
ワフジール峠 (アフガニスタン)
プロジェクト 地形
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ワフジール峠
中国語
繁体字 瓦根基達坂
簡体字 瓦根基达坂
発音記号
標準中国語
漢語拼音wǎgēnjī dábǎn
別名
繁体字 瓦赫吉爾山口
簡体字 瓦赫吉尔山口
発音記号
標準中国語
漢語拼音wǎhèjí'ěr shānkǒu
ウェード式wa3-ho4-chi2-erh3 shan1-K'ou3
ペルシア語
ペルシア語گذرگاه واخجیر Gozargāh-e Vākhjīr

アフガニスタンのワハーン英語版と中国・新疆ウイグル自治区タシュクルガン・タジク自治県を結び、標高は4923メートルである[2]。現在、峠を越える道に正式な国境検問所は存在しない。アフガニスタンの時刻帯UTC+4:30中国の時刻帯UTC+08:00であり、アフガニスタン=中国国境における時差は3.5時間となる。これは世界で最も時差の大きい国境である。北に別の峠があるため、中国側では南ワフジール峠(中国語: 南瓦根基达坂)と呼んでいる[2]

概要 編集

現在、峠を越える道は存在しない。中国側は、峠付近の地域は軍人だけが立ち入ることができる[3]。 国境には92キロメートルの有刺鉄線の柵が建てられており、峠の東から20キロメートルのKeketulukeには中国の国境警備の前哨基地がある[4]。2009年夏、中国国防部は、国境から10キロメートル以内に国境警備隊が使用するための新しい道路の建設を開始した[5]。その道は、タグドゥンバシ・パミール英語版を経由して80キロメートル離れたカラコルム・ハイウェイに繋がる。ワフジール峠の東の中国側にある谷は、カラチグ谷英語版と呼ばれている。訪問者に対しては完全に閉鎖されているが、その地域の住民と牧畜民には通行が許可されている[6]。中国はそれを中国におけるワハーン回廊の一部と呼んでいる。

アフガニスタン側の道路は、峠から約100キロメートルのサルハッド英語版まで悪路である[7]。峠のアフガニスタン側のすぐ下には、標高4,554メートルの氷の洞窟がある。これはワフジル川の源流であり、その川は最終的にはアムダリヤ川に流れる。従って、この洞窟はアムダリヤ川の源流とされている。パキスタンへのDilisang峠は、約20キロメートル離れた同じ谷にある[3]

歴史 編集

ワフジール峠はシルクロードの一部である。649年ごろ、玄奘三蔵インドから中国に戻るときに、このルートを通ったと伝えられている[8]

峠は一年のうち少なくとも5ヶ月間は通行不能であり、残りの期間でも通行できなくなることが時々あった[9]。峠周辺の地形は非常に険しいが、オーレル・スタインは峠へのアプローチが「非常に簡単」(remarkably easy)であると報告した[10]。外国人によるこの峠を通り抜けた記録はほとんどない。歴史的にこの峠は、バジョール英語版の商人がバダフシャーンヤルカンドの間の通商ルートとして使用していた[10]マルコ・ポーロはこの峠を通ったと思われるが、彼は峠の名前について言及しなかった。イエズス会の修道士ベント・デ・ゴイスは、1602年から1606年にかけてワハーンを越えて中国に入った。この次に古い記録は、19世紀後半のグレート・ゲームの時代のものである[11]。1868年、インド大三角測量に従事していた、ミルザ(Mirza)と呼ばれる先住民測量者(パンディット)が峠を通過した[12]。1874年には英陸軍のトーマス・エドワード・ゴードン英語版大尉[13]、1891年にはフランシス・ヤングハズバンド[14]、1894年にはカーゾン卿[15]が峠を通過した。1906年5月、オーレル・スタイン卿が峠を通過し、片道でポニー100頭分の物資しか使用していなかったと報告した[16]。それ以降、峠を通過した西洋人は、1947年のビル・ティルマン英語版のみである[17]

中国とアフガニスタンとの境界線は、グレート・ゲームの一環として1895年イギリスロシアの間の合意により確立されたが、中国とアフガニスタンとの間での合意はなされていなかった[2][18]。中国とアフガニスタンは1963年に国境を画定した[2]

最近では、ワフジール峠が、低強度薬物の密輸ルートとして使用され、アフガニスタンで製造されたアヘンを中国に輸送するために使用されていると考えられている[19]。アフガニスタンは経済的理由やタリバンとの戦闘のための代替補給ルートとして、ワハーン回廊の国境を開放することを中国政府に打診している。しかし、中国は、回廊に接する新疆ウイグル自治州の情勢不安を主な理由として、それに抵抗している[20][21]。2009年12月、アメリカ合衆国が中国に回廊を開放するように要請したと報告された[22]

脚注 編集

  1. ^ Ludwig W. Adamec. Historical and political gazetteer of Afghanistan Vol. 1. Badakhshan Province and northeastern Afghanistan. Graz : Akad. Druck- und Verl.-Anst., 1972.p. 185.
  2. ^ a b c d    (中国語) 中华人民共和国和阿富汗王国边界条约 [China-Afghanistan Border Agreement], (1963-11-22), ウィキソースより閲覧, "经过高程为4923米的南瓦根基达坂(阿方图称瓦根基山口)" 
  3. ^ a b Dufour, Julien. “Pamir & Wakhan - Getting there”. Online Guide to Trekking in the Wakhan and Afghan Pamir. 2017年2月3日閲覧。
  4. ^ Cui Jia (2014年9月25日). “High alert” (英語). China Daily. 2017年2月3日閲覧。 “A barbed wire fence appeared after another 20 km west of Keketuluke. The fence separates China and Afghanistan amid the 92 km border area.”
  5. ^ Russell Hsiao, Glen E. Howard (2010年1月7日). “China Builds Closer Ties to Afghanistan through Wakhan Corridor”. Jamestown Foundation. 2017年2月3日閲覧。
  6. ^ 环球时报 (2009年5月7日). “《环球时报》记者组在瓦罕走廊感受中国边防” (中国語). china.huanqiu.com. Global Times. 2017年2月4日閲覧。 “由于瓦罕走廊没有开放旅游,普通游客走到这里便无法继续前行。...据他介绍,该派出所海拔3900米,辖区内户籍75户,约300人,到七八月夏季牧场开放时,山下牧民会到高海拔地区放牧,走廊人口将达到1800人左右。”
  7. ^ J. Mock and K. O'Neil (2004): Expedition Report
  8. ^ Stein, M. Aurel (1903-06-30). “Exploration in Chinese Turkestan”. United States Congressional Serial Set (Washington, D.C.: Smithsonian Institution) (748): 752. https://books.google.com/books?id=Neg3AQAAIAAJ&pg=PA752&dq=wakhjir+pass 2017年2月3日閲覧。. 
  9. ^ Townsend, Jacob (2005年6月). “China and Afghan Opiates: China and Afghan Opiates: Assessing the Risk”. Silk Road Paper. Institute for Security and Development Policy. p. 36. 2017年2月3日閲覧。 “The only border crossing is the Wakhjir Pass at an altitude of 4,927m, which is closed for at least five months a year and is open irregularly for the remainder.”
  10. ^ a b Stein, M. Aurel (1907). Ancient Khotan: Detailed Report of Archaeological Explorations in Chinese Turkestan. vol. 1. Oxford, UK: Clarendon Press. pp. 32. https://books.google.com/books?id=FaMMAQAAMAAJ&vq=remarkably%20easy&pg=PA32 
  11. ^ Shahrani, M. Nazif. (1979) The Kirghiz and Wakhi of Afghanistan: Adaptation to Closed Frontiers and War University of Washington Press, Seattle, ISBN 0-295-95669-0; 1st paperback edition with new preface and epilogue (2002), ISBN 0-295-98262-4 p.27
  12. ^ Shahrani, M. Nazif. (1979 and 2002) p.31
  13. ^ Keay, J. (1983) When Men and Mountains Meet ISBN 0-7126-0196-1 p. 256-7
  14. ^ Younghusband, F. (1896, republished 2000) The Heart of a Continent ISBN 978-1-4212-6551-3
  15. ^ Geographical Journal (July to September 1896) cited in Mock and O'Neil 2004 Shipton Tilman Grant Application
  16. ^ Shahrani, M. Nazif (1979 and 2002) p.37
  17. ^ Mock and O'Neil 2004 Shipton Tilman Grant Application
  18. ^ Office of the Geographer (1969年5月1日). “International Boundary Study - Afghanistan – China Boundary”. web.archive.org. Bureau of Intelligence and Research. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月3日閲覧。 “The Afghanistan–China boundary agreement, signed on November 22, 1963, was the fifth of these boundaries treaties initiated by the Chinese communists.”
  19. ^ Afghanistan border crossings”. Caravanistan. 2017年2月3日閲覧。 “It is mostly used as a low-intensity drug-smuggling corridor to bring opium to China during the summer.”
  20. ^ Afghanistan tells China to open Wakhan corridor route. The Hindu. June 11, 2009 Archived January 8, 2011, at the Wayback Machine.
  21. ^ China mulls Afghan border request. BBC News Online. June 12, 2009
  22. ^ South Asia Analysis Group: Paper No. 3579, 31 December 2009 Archived June 13, 2010, at the Wayback Machine.

外部リンク 編集