ヴァルター・ゲリッケ(Walter Gericke、1907年12月23日 - 1991年10月19日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦ではドイツ国防軍空軍降下猟兵部隊を率い、戦後はドイツ連邦軍陸軍に参加した。最終階級は大佐(国防軍)、少将(連邦軍)。

ヴァルター・ゲリッケ
Walter Gericke
生誕 1907年12月23日
プロイセンの旗 プロイセン王国 ガンダースハイムビルターラーヘドイツ語版
死没 (1991-10-19) 1991年10月19日(83歳没)
ドイツの旗 ドイツ アルスフェルト
所属組織 ワイマール共和国陸軍
ドイツ国防軍空軍
ドイツ連邦軍陸軍
軍歴 1929年 - 1933年(共和国軍)
1936年 - 1945年(国防軍)
1956年 - 1965年(連邦軍)
最終階級 大佐(国防軍)
少将(連邦軍)
テンプレートを表示

経歴 編集

1907年、ガンダースハイム・ビルターラーヘに生まれる。1929年には警察官となり、1935年まで務めた。1935年8月31日に警察中尉として退職し、その1か月後に新設された空軍へ中尉として入隊した。当初は「ゲーリング将軍」連隊に配属された[1]。第二次世界大戦勃発時には、第7航空師団第1降下猟兵連隊第4中隊の中隊長を務めていた。

以後、ヴァルター・ゲリッケは降下猟兵将校として各地を転戦し、クレタ島の戦いアンツィオの戦いモンテ・カッシーノの戦いなどに参加した。

大戦末期、オランダ=北ドイツ戦線にて第21降下猟兵師団の指揮官となる。同師団は完全に編成されないまま戦線に投入されていた。1945年5月8日、敗戦を迎えると共にオルデンブルク・ファーレルにてイギリス軍に投降し、捕虜となる。その後、イギリス占領区域にてイギリス軍の元でいくつかの仕事を行い、民間人としての身分保証を受けた。1946年11月9日には釈放されたものの、イギリス当局の支援を拒み、イギリス占領区域には戻らなかった。1947年6月、アメリカ占領区域のアルスフェルトへの移住許可を得る。アルスフェルトには戦中にシュテンダールから避難していた彼の妻と2人の子供が住んでいた。移住後は繊維工場で働いた。1952年、市議会議員に選出される。1956年、陸軍大佐としてドイツ連邦軍に復帰。彼は空挺・空輸学校ドイツ語版の設立にも関わった。1961年9月12日、准将に昇進。1962年10月1日、第1空挺師団長に就任。1963年9月25日、少将に昇進。

受勲 編集

出典 編集

  1. ^ Karl Alman: Sprung in die Hölle, Erich Pabel Verlag, Rastatt 1964, S. 112 ff
  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Friedburg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 3-7909-0284-5.
  • Kurowski, Franz. Knights of the Wehrmacht Knight's Cross Holders of the Fallschirmjäger. Schiffer Military. ISBN 0-88740-749-8.
  • Scherzer, Veit (2007). Die Ritterkreuzträger Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives (in German). Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2.

外部リンク 編集