ヴィオラソナタ (ショスタコーヴィチ)

ヴィオラソナタ 作品147は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの最後の作品。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の多くを初演した、ベートーヴェン弦楽四重奏団の第2代ヴィオラ奏者フョードル・ドルジーニンのために作曲された。

概要 編集

死の直前に作曲されたこともあり、特に暗い雰囲気を持つ曲である。のみならず、他の曲から音形を引用するなど、より謎めいた雰囲気も持っている。

作曲者の亡くなる4日前である1975年8月5日に最終校訂を完了した。ただし、全曲はそれより2か月ほど前に完成し、初演者のフョードル・ドルジーニンとミハイル・ムンチャンは初演に向けて練習を始めていた。作曲者はドルジーニンに「この作品は晴れ晴れとしたもので、第1楽章は短編小説。第2楽章はスケルツォ、第3楽章はベートーヴェン追悼のオマージュとなるが、あまり惑わされないようにしてくれ。」と前もって電話で内容と構成について話していた。

作曲者の没後、初演のリハーサルでは作曲者と親交が深かったムラヴィンスキーゲンナジー・ロジェストヴェンスキーらが駆け付け、演奏に対しかなりの意見を述べていたようである。[要出典]

初演は作曲者の没後約2か月を経て1975年10月1日レニングラードのグリンカ・ホールにて、フョードル・ドルジーニンのヴィオラ、ミハイル・ムンチャンのピアノにより行われた。ドルジーニンはその時の模様を以下のように述べている。「催眠術のような強い作用を聴衆に及ぼした。ホールで唯一の空席であるドミトリー・ドミトリエノヴィッチの席には花束が置かれ、そこから遠くない場所に、エフゲニー・アレクサンドロヴィッチ・ムラヴィンスキーが、私の妻と並んで座っていた。…ムラヴィンスキーはまるで子供のように、止めどなく涙を流していたが、ソナタが終わりに近づくにつれて、文字どおり慟哭に身を震わせていた。…舞台の上と聴衆の心の中で生じたことは、音楽の範疇を超えていた。われわれが演奏を終えたとき、私は、ソナタの楽譜を頭上に高く掲げた。聴衆の喝采を残らずその作曲者に捧げるために。」[1]

曲の構成 編集

ハ長調で3つの楽章から構成される。演奏時間は約30分。

編成 編集

ヴィオラピアノ

編曲 編集

チェリストダニイル・シャフランがチェロ・ソナタに編曲しており、シャフラン本人のものを含めていくつかの録音がある。シャフランによるものは1977年の録音で、ショスタコーヴィチの没後数年内に編曲が行われたようである。

脚注 編集

  1. ^ 千葉潤 『ショスタコーヴィチ』 音楽之友社、2005年 ISBN 4-276-22193-5 177頁。
  2. ^ ヨゼフ・スーク『ショスタコーヴィチ/ヴィオラソナタ、ベルリオーズ/イタリアのハロルド』 CDブックレット(日本コロムビア、25CO-3194(リイシュー:COCO-73186) 執筆者:関根日出男
  3. ^ Andrew Kirkman; Alexander Ivashkin (2012). Contemplating Shostakovich: Life, Music and Film. Ashgate Publishing. ISBN 9781409472025. https://books.google.co.jp/books?id=MCspDAAAQBAJ&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=snippet&q=viola%20sonata&f=false 

参考文献 編集

  • 井上和男『改訂 クラシック音楽作品名辞典』三省堂、1998年2月10日、350頁。