ヴィボルグ・アピール(Выборгское воззвание, Vyborg Appeal, Vyborg Manifesto)は、1906年7月にロシア皇帝の統治下にあったヴィボルグ(現在はロシア連邦レニングラード州に属する)で、ドゥーマ(ロシアの国会)議員によって示された声明。「ヴィボルグの檄」などとも称される。

ヴィボルグに到着した元ドゥーマ議員たち
声明文

概要 編集

1906年4月23日、皇帝ニコライ2世によって憲法(国家基本法)が発布された。その4日後にドゥーマ(国会)が開かれたが、ツァーリ政府との対立から7月上旬に解散させられた。カデットトルドヴィキ社会民主労働党の所属していた元議員たちはペテルブルクを離れ、フィンランド大公国(大公はロシア皇帝)のヴィボルグにあるホテルに集結した。最終的には、167人によってヴィボルグ・アピールが示され、ドゥーマの再召集まで納税、徴兵を拒否することを人民に呼びかけた。ただし、中産階級を支持層とするカデットでは、この声明をめぐって各地で意見をまとめられないなど、実際の影響は限定的なものとなった。

参考文献 編集

  • 和田春樹ら編 『世界歴史大系 ロシア史2』 山川出版社、1994年

外部リンク 編集