ヴェラ・ヒティロヴァVěra Chytilová1929年2月2日 - 2014年3月12日)は、チェコオストラヴァ出身の前衛映画監督であり、チェコ映画の先駆者である。もっとも偉大なチェコの女性映画作家として知られる。1960年代に当時のチェコスロヴァキア政府に発禁処分を受けた、「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」でもっとも知られる映画『ひなぎく』(Daisies1966年)の監督である。ファミリーネームの日本語訳はヒティロヴァーとも表記される[1]

第42回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でのヴェラ・ヒティロヴァ。

来歴・人物 編集

1929年2月2日チェコスロヴァキア(現チェコ共和国)の第3の都市オストラヴァに生まれる。チェコ第2の都市ブルノ哲学建築学を学び、デザイナー、ファッション・モデルを経て、首都プラハのバランドフ撮影所(Barrandov Studios)に入り、脚本家女優助監督として働く。

1957年、プラハのフィルムアカデミー(FAMU)に入学、イジー・メンツェルミロシュ・フォルマンヤン・ニェメツイヴァン・パッセルを教えたオタカル・ヴァーヴラOtakar Vávra)のもとで演出を学び、1962年卒業。卒業制作の『天井』(1961年)と翌年の『一袋分の蚤』(1962年)は即興演出の手法をとった、まさにフランスヌーヴェルヴァーグと同時代性をもつ作品である。

1966年12月30日、『ひなぎく』がチェコスロヴァキア国内で公開されるが、チェコスロヴァキア当局からは発禁処分を受け、ヒティロヴァは7年間にわたり活動停止となった[2]。翌年以降、世界各地で公開され、広く受け知られるところになる。日本では、1991年3月に公開され、その先進的でガーリーな感覚が、いわゆる「渋谷系」文化のなかで若い女性を中心に受け入れられ、「1960年代の女子映画の決定版」とされている[2]

1969年、いわゆる「政治の時代」に突入していたフランスヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールがプラハに来訪、彼が組織した映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ集団」による映画『プラウダ (真実)』に出演、インタビューを受ける。同作は1971年11月3日、日本でも公開された。

晩年もなお活動し、『保証のないすばらしい瞬間 Hezké chvilky bez záruky』(2006年、英題:Pleasant Moments)が遺作となった。2014年3月12日、闘病生活の末プラハにて死去[2]。85歳没。

おもなフィルモグラフィ 編集

脚注 編集

  1. ^ 『ひなぎく』作品紹介、映画『ひなぎく』公式サイト(2014年日本上映)、2014年3月13日閲覧。
  2. ^ a b c 福田麗 (2014年3月13日). “『ひなぎく』ヴェラ・ヒティロヴァ監督が死去 85歳 チェコの女性映画作”. 2014年3月13日閲覧。

外部リンク 編集