一条順子

伏見宮邦家親王の次女。一条忠香の正室

一条順子(いちじょう じゅんこ / よりこ、1827年3月1日文政10年2月4日[1]) - 1908年明治41年)1月24日)は、公卿一条忠香の正室。院号は松寿院

矩子女王
(一条順子)
一条順子
続柄 伏見宮邦家親王第二王女

称号 満津宮
出生 1827年3月1日文政10年2月4日
死去 1908年明治41年)1月24日(享年82)
配偶者 一条忠香
子女 明子
父親 伏見宮邦家親王
母親 中村杣
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生涯 編集

伏見宮邦家親王の第二王女として生まれる。初めは満津宮矩子女王と称するが、1852年嘉永5年)に一条忠香に嫁いだ後、順子に名を改めた。1863年文久3年)に忠香が没すると、剃髪して松寿院と号する。1908年(明治41年)1月24日に没する。享年82。

栄典 編集

血縁 編集

脚注 編集

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 『官報』第7372号「叙任及辞令」1908年1月25日。

外部リンク 編集