三宅 西浦(みやけ せいほ、天明6年6月1日1786年6月26日) - 安政4年10月29日1857年12月15日))は、日本の山水画の画家である[1]。本名は三宅 高哲(みやけ たかてつ)、あざな稚由、通称は辰蔵。また、看雲楼の別名を持つ。

略歴 編集

江戸時代後期の天明6年(1786年)に、備中国浅口郡西之浦村(現在の岡山県倉敷市水島)で米屋を営む豪商・三宅高雅の子として生まれる。

成長すると、山水画に興味を持ち、現在の長崎で伊孚九の画法を学ぶ。その後、野呂介石に師事。

安政4年(1857年)10月29日に死去。享年72。

長男の三宅高幸は、幕末の討幕運動で活躍した。

脚注 編集

  1. ^ 三宅西浦 デジタル版 日本人名大辞典+Plus

参考文献 編集

  • 大倉徹彦『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社(1994年)

関連項目 編集