三条西 公国(さんじょうにし きんくに)は、安土桃山時代公卿三条西実枝の子。官位正二位内大臣

 
三条西 公国
時代 安土桃山時代
生誕 1556年弘治2年)
死没 1587年12月8日天正15年11月9日
改名 公光、公明
諡号 円智院
官位 正二位内大臣
主君 正親町天皇
氏族 三条西家
父母 父:三条西実枝、母:正親町三条公兄の娘
兄弟 公世公国三条実綱あここの方
正室:西園寺公朝の娘
三条西実条三条公広
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生涯 編集

内大臣三条西実枝の次男として生まれる。母は正親町三条公兄の娘[1]1571年元亀2年)に右近衛中将、1573年(元亀4年)に参議、1575年天正3年)に権中納言、1580年(天正8年)に権大納言、1585年(天正13年)に権大納言、そして1587年(天正15年)に内大臣と昇格した。1585年(天正13年)に正二位に昇叙した[2]

また公国は春日局の外祖父である稲葉一鉄の妻の甥にあたり、春日局を養育したとされる。その後、春日局は公国の長男である実条の養女となった[3]

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 『新訂寛政重修諸家譜 26』(続群書類従完成会1967年
  2. ^ 『公卿諸家系図』(続群書類従完成会、1988年
  3. ^ 『人物物故大年表日本人編』(日外アソシエーツ2005年