三浦信由
経歴 編集
大分県宇佐郡院内村
大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学[2]。東洋大学陸上競技部で、大学1年生の時より3000m障害を専門とした[2]。1966年、第5回アジア競技大会(バンコク)で銅メダルを獲得した[2]。また、箱根駅伝には4回連続出場している[2]。
大学3年生の5月、競技中に靭帯断裂の toyo_248"/>。1973年(昭和48年)、29歳で競技を引退[2]。
大分県宇佐郡院内村
大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学[2]。東洋大学陸上競技部で、大学1年生の時より3000m障害を専門とした[2]。1966年、第5回アジア競技大会(バンコク)で銅メダルを獲得した[2]。また、箱根駅伝には4回連続出場している[2]。
大学3年生の5月、競技中に靭帯断裂の toyo_248"/>。1973年(昭和48年)、29歳で競技を引退[2]。
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