三輪 小鷦鷯(みわ の おさざき、生年不明 - 舒明天皇8年(636年)3月)は、飛鳥時代7世紀前半)の豪族小鷦鷯君とも表記する。

 
小鷦鷯君
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 舒明天皇8年(636年)3月
主君 舒明天皇
氏族 三輪君
父母 父:逆君
兄弟 弟隈君
文屋君
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記録 編集

日本書紀』によると、舒明天皇采女を犯したものがいて、罪状を取り調べ、全員が罪に服した。この時に三輪小鷦鷯が取り調べられたことを苦にして頸を刺して自殺した、とある[1]

この時期、天災が続出し、彗星が現れたり、一つの茎に二つの蓮の花が咲いたり、日蝕があったりした。また、同じ年に長雨があって洪水になり[2]岡本宮が火災に遭い、天皇は田中宮に遷っている[3]

脚注 編集

  1. ^ 『日本書紀』巻第二十三、舒明天皇8年3月条
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十三、舒明天皇8年5月条
  3. ^ 『日本書紀』巻第二十三、舒明天皇8年6月条

参考文献 編集

関連項目 編集