上杉 憲俊(うえすぎ のりとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士深谷上杉家9代当主。

 
上杉憲俊
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正7年(1579年)
死没 慶安元年(1648年
主君 池田輝興
播磨平福藩
氏族 深谷上杉氏久保田氏
父母 父:上杉氏憲
兄弟 憲俊憲成憲国
養子:憲国
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略歴 編集

天正7年(1579年)、上杉氏憲の嫡男として誕生した。

父は後北条氏に従っており、小田原征伐で所領を失う。当初は父に従い信濃国で暮らすが、元和3年(1617年)に播磨国平福藩主、のち赤穂藩主となる池田輝興に仕える。輝興が罪を得ると、それに従い岡山へ随行した。

一説には慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの直前に、上杉景勝から仕官の誘いがあったとも云われるが、定かではない。