楊原村

日本の静岡県駿東郡にあった村
上香貫から転送)

楊原村(やなぎはらむら)は、静岡県駿東郡に属していたである。

やなぎはらむら
楊原村
廃止日 1923年7月1日
廃止理由 新設合併
楊原村沼津町沼津市
現在の自治体 沼津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
駿東郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 沼津町、大岡村清水村大平村静浦村
楊原村役場
所在地 静岡県駿東郡楊原村
座標 北緯35度05分45秒 東経138度51分48秒 / 北緯35.09572度 東経138.86333度 / 35.09572; 138.86333座標: 北緯35度05分45秒 東経138度51分48秒 / 北緯35.09572度 東経138.86333度 / 35.09572; 138.86333

東部地域の町村制施行時の町村。7が楊原村。(1.沼津町)
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現在の沼津市香貫地区(第三・第四地区)にあたる。1923年(大正12年)に沼津町及び楊原村が合併して、沼津市が発足する。村名は郷社の楊原神社から採られた。

地理 編集

狩野川下流の左岸に位置する。南西は我入道から島郷にかけて駿河湾に面する。南は静浦村に接し、静浦山地をもって南東は大平村、東は清水村に接する。狩野川を隔てて北は大岡村、西は沼津町に接する。

狩野川による沖積地が広がり、東側の山裾には集落や田畑が、その他の低地には水田が開発された。我入道は周辺の漁村の中でも特に漁場に恵まれていた。千本松原から続く海岸線は風光明媚な場所としても知られ、島郷には多くの著名人の保養地・別荘が置かれ、明治26年には御用邸も造営された。

大字・小字 編集

以下は大正7年編纂の『楊原村沿革誌』による。

  • 上香貫 - 堰下、中原、黒瀬、辻、折坂、新田、久保、寺ノ前、中障子、殿ノ前、二瀬川、市場、内吉田、永代、外吉田、西島
  • 下香貫 - 馬場、山ノ根、八重原、石原、六反、塩満、島郷、牛臥
  • 善太夫 - 塩場(下香貫域内、江戸期に川端善太夫が河川跡を当初は塩田として、後に新田開発を行ったことによる)
  • 我入道 - 東向、仲向、濱向、瀬戸向

交通 編集

明治初期、沼津町との往来には黒瀬、市場で渡し船が用いられた。後に黒瀬橋、御成橋(明治10年架橋、旧称・湊橋)、永代橋(明治16年架橋、旧称・入船橋)が架かり、市場・吉田は沼津町と同一市街を形成するようになった。

主要な道路として以下のものが挙げられる。

  • 沼津静浦往還 - 南北に延びる道路。沼津町上土から静浦村江浦を結ぶ。江浦四日市往還に接続。
  • 沼津原木往還 - 東西に延びる道路。上香貫市場から韮山村原木を結ぶ。下田街道に接続。
  • 牛臥往還 - 沼津静浦往還から分岐し再び接続する道路。上香貫吉田から我入道、牛臥を経て下香貫島郷を結ぶ。

特に沼津静浦往還は御用邸の造営によるものが大きく、舗装され、掃除が常に行き届いていたという。清水村とは沼津原木往還のほかに八重坂、横山坂を、大平村とは静浦の志下坂を経由して往来していた。

信仰・宗教 編集

『楊原村沿革誌』では以下の神社、寺院が挙げられているが、域内には多くの石仏・石神が確認されている。

神社 編集

  • 式内社
    • 郷社 - 楊原神社(下香貫宮脇)
    • 村社 - 大朝神社(下香貫山宮前)、玉造神社(上香貫黒瀬)
  • 無格社
    • 八幡神社(上香貫市場)、天神社(上香貫天神洞)、金毘羅神社(上香貫外吉田)、稲荷神社(上香貫住吉)、淡島神社(上香貫二瀬川)、八幡神社(我入道濱方)

寺院 編集

歴史 編集

1889年(明治22年)の町村制の施行により、「上香貫村外六ヶ村」のうち、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村及び善太夫新田の区域をもって、駿東郡楊原村が発足する。なお、他の3村も共に統合する構想があったが、意見の相違などから、徳倉村は清水村徳倉に、大平村は単独で大平村に、日守村は函南村日守となる。

  • 1871年(明治4年) - 戸籍法により静岡県第三区に分類。
  • 1872年(明治5年) - 大区小区制により13村で静岡県第一大区一小区に分類。
  • 1884年(明治17年)- 郡区町村編制法の改正により、上香貫村外六ヶ村結成する。上香貫村に連合戸長役場が置かれる。
  • 1886年(明治19年)10月22日 - 下香貫に尋常楊原小学校が設立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村及び善太夫新田の区域をもって、駿東郡楊原村が発足する。下香貫に村役場が置かれる。
  • 1893年(明治26年) - 下香貫島郷に沼津御用邸が造営。明治36年に東附属邸、明治38年に西附属邸を併設。
  • 1895年(明治28年) - 上香貫に佐野製糸場が設立。
  • 1896年(明治29年) - 下香貫に大竹製糸場が設立。
  • 1901年(明治34年) - 上香貫に静岡県立沼津中学校が開校。
  • 1923年(大正12年)7月1日 - 沼津町及び楊原村が合併して、沼津市が発足する。

参考文献 編集

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
  • 『角川日本地名大辞典 22 静岡県』角川書店、1982年。
  • 沼津資料集成15『楊原村沿革誌』沼津市立駿河図書館、1988年。(楊原村役場、大正7年の復刻)
  • 沼津市史編さん調査報告書 第9集『塩満の民俗』沼津市教育委員会、1996年。
  • 沼津市史編さん調査報告書 第11集『香貫・我入道の石仏・石神』沼津市教育委員会、1998年。

関連項目 編集