世界ブラスナックル王座

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世界ブラスナックル王座(せかいブラスナックルおうざ)は、FMWが管理、認定していた王座。

歴史 編集

WWA世界ブラスナックル王座WFDA世界マーシャルアーツ王座の流れを汲む王座で一旦封印状態にあった前者の新装復活版ともいえる。

1993年W★INGプロモーションミスター・ポーゴが突如、FMWの試合会場に単身で乱入。その直前に大仁田厚が離脱者の復帰も想定しての「FMWマットのオープン化」を宣言しており、それに呼応した形でのUターンとみられたがポーゴは「大仁田のことが本当に憎くて仕方がない」とコメントして大仁田に早速一騎討ちを迫った。これに対して大仁田は休眠状態にあったWWA世界ブラスナックル王座を持ち出して記者会見を行って、その席上で大仁田はポーゴの挑戦を受けると共に「ポーゴとの闘いのためにWWA世界ブラスナックルのベルトを復活させてもいい」とコメント。7月24日、FMW北九州ベイスクエアで大仁田とポーゴによるノーロープ有刺鉄線バリケードマット電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチが行われて、大仁田のセコンドについたミスター珍がリングに乱入してポーゴが珍を爆破装置付きの有刺鉄線に叩き込む事態が起きた(試合は大仁田の勝利)。かくして増幅された遺恨を引きずる形で観客動員の面で苦戦していた関西でビッグマッチの目玉として大仁田とポーゴの再戦が緊急決定。8月22日、FMW阪急西宮スタジアム大会で大仁田とポーゴによる初代王座決定戦及び有刺鉄線電流地雷監獄リング時限爆破デスマッチが行われて大仁田が勝利して初代王者になった。

初代王者の大仁田はポーゴとの因縁が再燃して大仁田が引退するまで王座を通じてポーゴとの遺恨清算に身を費やすこととなった。王座決定戦の際、チャンピオンベルトが無く、しばらくチャンピオンベルトが不在の状態が続いたが後日になってようやく、1970年代から1980年代に使われていたNWA世界ヘビー級王座のデザインを模したチャンピオンベルトが新調された[1]。皮肉にも新しいチャンピオンベルトを初めて手にしたのは大仁田を破ったポーゴだった。その後、大仁田は時に「ポーゴ大王」という化身まで投入してポーゴの残忍な攻撃に幾度も苦杯を嘗めることになった。

1995年5月4日、大仁田の引退試合前日のFMW愛知県武道館大会で王者のポーゴ、挑戦者の大仁田によるタイトルマッチ及びノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘルデスマッチが行われて大仁田が勝利して第5代王者になった。5月5日、FMW川崎球場大会で王者の大仁田、挑戦者のハヤブサによるタイトルマッチ及びノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破時限爆弾デスマッチが行われて大仁田が勝利して有終の美を飾った。空位となった王座は大仁田からエースの座を託されたハヤブサが手中に収めて大仁田の引退により、始まった「新生FMW」と呼ばれた新路線で唯一のヘビー級王座として機能していくことになった。

1996年12月11日、FMW駒沢オリンピック公園体育館大会で王者のザ・グラジエーターインディペンデントワールド世界ヘビー級王者W★ING金村による王座統一戦が行われて勝利したグラジエーターが二冠王者になった。以降はFMW二冠統一王座として2つの王座の防衛戦が同時に行われている。

1999年5月18日、王者の冬木弘道が肩の負傷で返上により、FMW二冠統一王座は解体された。8月25日、封印。

歴代王者 編集

歴代 選手 戴冠回数 獲得日付 獲得場所
(対戦相手・その他)
初代 大仁田厚 1 1993年8月22日 阪急西宮スタジアム
ミスター・ポーゴ
第2代 ミスター・ポーゴ 1 1994年1月6日 後楽園ホール
第3代 大仁田厚 2 1994年9月7日 札幌中島体育センター
第4代 ミスター・ポーゴ 2 1995年1月21日 泉総合運動場体育館
第5代 大仁田厚 3 1995年5月4日 愛知県武道館
1995年5月5日返上
第6代 ハヤブサ 1 1995年6月27日 後楽園ホール
大矢剛功
1995年6月27日返上
第7代 ザ・グラジエーター 1 1995年9月26日 後楽園ホール
ハヤブサ
1996年1月15日返上
第8代 スーパー・レザー 1 1996年2月23日 後楽園ホール
大矢剛功
第9代 ザ・グラジエーター 2 1996年5月27日 博多スターレーン
第10代 田中正人 1 1997年9月28日 川崎球場
第11代 ミスター雁之助 1 1998年1月6日 後楽園ホール
第12代 ハヤブサ 2 1998年4月30日 横浜文化体育館
第13代 冬木弘道 1 1998年11月20日 横浜文化体育館
1999年5月18日返上
第14代 金村ゆきひろ 1 1999年5月18日 東京
FMWが王者に認定
第15代 ハヤブサ 3 1999年8月23日 後楽園ホール
1999年8月25日封印

脚注 編集

  1. ^ チャンピオンベルトは1973年に作成の角ばったデザインのものを模した。本家においてバックルの中央近くに描かれた「地球」の部分に人間の「拳骨」が描かれている。

外部リンク 編集