中井 啓吉(なかい けいきち、1890年明治23年)2月8日[1] - 1966年昭和41年)[2])は、大正から昭和時代の日本政治家大阪府三島郡磐手村村議会議員、磐手村長、高槻町議会議員を経て、官選第2代高槻市長(1945年11月20日〜1946年11月15日)を務める。大阪府農業協同組合連合会会長。高槻市名誉市民。

経歴 編集

人物 編集

1890年(明治23年)、高槻市北東部の古曽部に生まれる。1920年(大正9年)、磐手村議会議員に当選。昭和2年には磐手村長に選ばれ治績をあげた。1931年(昭和6年)、磐手村が近隣の高槻町をはじめとする5か町村と合併する際には、反対派の説得に奔走し新生高槻町の実現に貢献した。新町制の施行とともに名誉助役に推され就任、また町議会議員にも選出され、初代町長の礒村弥右衛門の町政を支えて12年ほどその任に就き、1943年(昭和18年)の市制施行後も引き続き助役を務めた。戦時体制下にありながらも住民福祉増進や地域振興等に取り組み、その職務を着実に進めたことから1945年(昭和20年)には第2代高槻市長に選任され(当時は市町村長は官選)、戦後復興と市民生活の安定を目指して市政に取り組んだ。2年間市長に在任した後、大阪府議会議員に当選。幅広く市政に精通したことから市政の指導的立場に立った。死の3年前には高槻市名誉市民の称号を得る[2]

脚注 編集

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、288頁。
  2. ^ a b 高槻市ホームページ 高槻市名誉市民