中嶋 勝彦(なかじま かつひこ、1988年3月11日 - )は、日本男性プロレスラー福岡県福岡市出身。血液型AB型。

中嶋 勝彦
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プロフィール
リングネーム 中嶋 勝彦
本名 中嶋 勝彦
ニックネーム 令和の理不尽大王
方舟の革命児
戦慄の蹴撃
蹴撃王[1]
身長 175cm
体重 87kg
誕生日 (1988-03-11) 1988年3月11日(36歳)
出身地 福岡県福岡市
所属 フリーランス
スポーツ歴 空手
トレーナー マサ斎藤
長州力
佐々木健介
デビュー 2004年1月5日
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来歴 編集

デビュー前 - デビュー後 - WJプロレス 編集

5歳から母子家庭で育った。小学校3年生より璞名館空手を始め、中学1年生の時に全国空手道大会(極真会館松井派主催)で優勝する。この頃前田日明の目に留まり、卒業後のリングスへ入団を約束されるがそれを待たずにリングスは解散となった。

2002年12月、中嶋は長州力率いるWJプロレスにスカウトされ入門、親孝行したいというのが入門の動機であった。2003年9月、WJ主催の総合格闘技興行X-1でプロデビューを飾り、金網バーリトゥード戦でジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイに勝利する。2004年1月、後楽園ホール石井智宏戦でプロレスデビューした。中嶋はこのとき15歳9か月であり、男子では史上最年少デビューのプロレスラーとなった。

しかし2004年3月、WJ崩壊に伴い中嶋も退団となった。母子家庭の中嶋にとっては、WJに「保険制度(保険会社の保険を指すのかプロレス興行会社としての負傷欠場中の保険=生活補償金を指すのかは不明)」が無いことが退団原因の1つであった。中嶋は一旦実家に帰ったが、元WJの佐々木健介に弟子入りした。

健介オフィス / ダイヤモンド・リング 編集

2004年4月より健介officeに所属する。以後、中嶋は健介ファミリーの「息子」というギミックを得て、健介の付き人をこなしつつ各団体へも参戦した。試合を重ねるにつれ個人の評価も上がり、単独参戦も増加していった。なお、当時中嶋が上がるリングは「必ず保険を団体もしくは主催興行会社が掛けてくれること」を最低条件として健介の妻の北斗晶が交渉した。

2004年6月19日、みちのくプロレス札幌大会に参戦しプロレスのキャリア半年でザ・グレート・サスケを破り、シングルマッチ初勝利を飾った。

2005年3月、DRAGON GATEに健介と共に参戦、同年12月、健介officeの法人化に伴い正式に健介officeに入団し、道場長に就任した。健介ファミリーを名乗り始めた頃は、3か月の期間限定の所属で自分の所属団体を見つけてファミリーから巣立つ構想であったが、結局は健介ファミリーが自分の居場所であるという考えに至って、健介・北斗らと活動することとなった。

この頃より中嶋は全日本プロレスを主戦場とし始め、健介office自主興行に参戦しながら全日本プロレスを中心にしつつ様々な団体へ参戦する。

その間に初代タイガーマスクとシングル、テリー・ファンクミル・マスカラスアブドーラ・ザ・ブッチャーともタッグで対戦。2006年2月11日、健介officeの自主興行・佐々木健介デビュー20周年記念興行で天龍源一郎と組み、健介・小橋建太組とタッグマッチで対戦した。2004年度のプロレス大賞・新人賞、2005年度は敢闘賞を受賞した。

2006年に定時制高校に入学した[2]

2007年2月11日、健介オフィス旗揚げ興行で健介とシングル初対決を行った。2007年2月17日、近藤修司を破り、世界ジュニアヘビー級王座を奪取する。18歳11か月での獲得は同王座最年少記録となった。だが2008年3月1日、シルバー・キングに敗北し世界ジュニアヘビー級王者から陥落した。

2008年3月、健介オフィス自主興行以外の主戦場を全日本プロレスからプロレスリング・ノアへ移す。初参戦にして同月より開催された第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に佐々木健介とのタッグチームでエントリー。敢闘賞を獲得した。[3]

8月、第2回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦飯伏幸太とタッグを組んで出場する。

2009年2月11日、GHCジュニアヘビー級選手権でKENTAを下し、第17代GHCジュニアヘビー級王者となった。3月1日、初防衛戦でKENTAと再戦したが、KENTAにリベンジを達成され王座から陥落した。7月には日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に宮原健斗とタッグを組んで出場する。

2010年10月、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に梶原慧とタッグを組んで出場する。

2011年9月23日、再びGHCジュニアヘビー級王者になった(対戦相手は鈴木鼓太郎)。しかし急性虫垂炎を患い、自らの申し出でベルトを返上した。

11月27日、リッキー・マルビンとのGHCジュニアヘビー級王座決定戦を行いジャーマンスープレックスホールドで勝利し、第23代GHCジュニアヘビー級王者となった。

2012年2月11日、健介オフィスが団体名称を「ダイヤモンド・リング」に改称(運営企業名称は「健介オフィス」のまま)、中嶋はダイヤモンド・リング所属選手の扱いに変更となった。

6月11日、タレントの飯作あゆりと婚約したことを発表し[4]、8月11日に結婚披露宴を行った。

11月、ノアのグローバル・リーグ戦に初出場。

2013年2月、中嶋はタッグマッチで怪我のために欠場していた健介の復帰戦の相手を務めた(健介のパートナーは杉浦貴、中嶋のパートナーは大谷晋二郎)。 この頃より、ヘビー級戦線に戦いの場を次第に移していく。

8月4日、中嶋はノアの旗揚げ記念大会で第五試合終了後、丸藤正道率いるBRAVEに加入したいという意思を伝える。その場では加入は認められなかったが、この大会後からBRAVE加入のために試合でアピールを続ける。その後、8月24日にモハメド・ヨネとのシングルマッチを行い、試合後に晴れてBRAVEに正式加入した。

10月5日、横浜文化体育館においてKENTAの保持するGHCヘビー級王座に初挑戦し、中嶋もKENTAと壮絶な打撃戦を展開したが、最後はgo2sleepに敗れた。

フリー - プロレスリング・ノア 編集

2014年2月11日、中嶋は師・健介にシングルで初勝利する。その後、健介が引退を表明したため、結果的に中嶋は健介に引導を渡す形になった。また健介の引退と同時にダイヤモンド・リングはプロレス団体としての活動を休止する。中嶋も活動休止後の唯一のダイヤモンド・リング所属選手となり、事実上のフリーランスの扱いで、これまで通り主戦場としていたプロレスリング・ノアへ継続参戦する[5]

2015年8月25日、自身のブログ上でダイヤモンドリング(健介オフィス)を7月末で退団していたことを発表、完全にフリーランスとして活動をすることになった[6]

12月24日、ダイヤモンド・リング(健介オフィス)時代の2008年からずっと主戦場としてきたプロレスリング・ノアへの入団を発表、2016年1月1日付よりノア所属選手となった[7]

ノア入団後の2016年1月よりGHCヘビー級王者の杉浦貴への挑戦を狙うつもりでいた。しかし王者・杉浦への挑戦の条件として鈴木軍から鈴木みのるとのシングル戦の勝利(敗北の場合は鈴木軍加入)が提示された。2月24日後楽園ホール大会のメインイベントで鈴木とシングル戦を行い、垂直落下式ブレーンバスター(この後、「ヴァーティカル・スパイク」と命名。)で鈴木を撃破し、3月19日の後楽園ホール大会で杉浦への挑戦が決定したが、敗北した[8][9]。7月、新日本プロレスG1 CLIMAXにも初出場。

10月23日、横浜文化体育館で杉浦の保持するGHCヘビーに挑戦、4度目の挑戦で悲願の奪取を果たし初戴冠した。だが、7回の防衛の後に2017年8月26日の後楽園ホール大会でエディ・エドワーズにタイトルを奪取される。

2020年8月30日、カルッツ川崎大会にて潮崎豪との「AXIZ」を抜け、拳王率いる「金剛」へ加入。

2021年10月10日、大阪府立体育会館で丸藤正道からタイトルを奪取し、2回目の戴冠を果たした。

2022年2月23日、名古屋国際会議場大会で藤田和之に敗れ、GHCヘビー級王座から陥落した[10]

2023年5月4日、両国国技館大会にて、長期欠場から復帰を果たした潮崎豪とタッグで対決、試合後に潮崎と握手を交わし「AXIZ」復活を宣言し、同時に「金剛」から離脱した。

9月30日をもって、プロレスリング・ノアを退団した。10月にノアでのラストマッチを行う [11]

フリー - 全日本プロレス 編集

10月31日、フリー転向後、全日本プロレス事務所に訪問。三冠ヘビー級選手権への挑戦を表明し、11月5日の北海道・ホテルエミシア札幌にて王者、青柳優馬との対戦が決定される。

11月5日、北海道大会にて青柳優馬に勝利し、自身初となる第71代三冠ヘビー級王座を戴冠する

得意技 編集

戦績 編集

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイ 1R 1:25 TKO(左フック→パウンド) X-1 2003年9月6日

タイトル歴 編集

プロレスリング・ノア
全日本プロレス
プロレスリングZERO1-MAX
  • WWA世界ジュニアライトヘビー級王座(プロレスリングZERO1-MAX版):1回
みちのくプロレス
天龍プロジェクト
WRESTLE-1
プロレス大賞
  • 2004年度 新人賞
  • 2005年度 敢闘賞
  • 2016年度 敢闘賞

入場テーマ曲 編集

  • KICK START / K-FORCE
現在のテーマ曲。2020年8月より使用。
  • GENIUS OF THE KICK / シトー
  • 勝彦
  • POWER (作曲&編曲:鈴木修

テレビ出演 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集