中溝 昌弘(なかみぞ まさひろ、1841年 - 1927年)は、明治時代の日本の地方政治家、自由民権運動家。
1841年に武蔵国町田(現・東京都町田市)で生まれる。自由民権運動に参加し、1878年に結成された「責善会」で石坂昌孝らと活動した[1]。その後、神奈川県会議員となる。晩年は政界から引退し、1927年死去。86歳。
子息に中溝五郎(鶴川村長)、青木昌吉らがいる。中溝五郎は、東京都知事を務めた鈴木俊一の祖父に当たる。
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