中野 良次(なかの りょうじ、1896年明治29年)3月10日[1][2] - 1977年昭和52年)2月24日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴 編集

佐賀県出身[1][2][3]。地主・中野佐太郎の長男として生まれる[1]。小城中学校(現佐賀県立小城高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業[1][2][4]。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第11連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)11月、陸軍砲工学校高等科(26期)を卒業[1]。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し野砲兵第8連隊中隊長に就任した[1][2][3]

1927年(昭和2年)12月、参謀本部付勤務(通信課)となり、参謀本部員、関東軍参謀を務め、1932年(昭和7年)8月、砲兵少佐に進級[1]。1933年(昭和8年)5月、陸軍野戦砲兵学校教官に就任し、参謀本部員(通信課)を務め、1936年(昭和11年)12月、砲兵中佐に進んだ[1]。1937年(昭和12年)12月、関東軍参謀(第3課長)に転じ、1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に昇進した[1][3]

1939年(昭和14年)3月、参謀本部通信課長に就任し、1940年(昭和15年)12月、東寧重砲兵連隊長に発令され満州に赴任[1][3]。1941年(昭和16年)10月、中部軍参謀に就任し帰国[1][3]。1942年(昭和17年)8月、陸軍少将に進級し大本営第18班長に就任[3]。1943年(昭和18年)7月、中央特殊情報部長となり、1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進み第216師団長に就任[1][2][3]熊本県宇土本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。同年12月、予備役に編入された[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、112頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』522頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』405頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』403、405頁。

参考文献 編集

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。