丸山侯彦

群馬県出身の元騎手

丸山 侯彦(まるやま よしひこ、1964年11月12日 - )は、群馬県出身の元騎手地方高崎[1][2]

丸山侯彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県
生年月日 (1964-11-12) 1964年11月12日(59歳)
騎手情報
所属団体 群馬県競馬組合
初免許年 1983年
免許区分 平地
騎手引退日 2005年
通算勝利 12743戦1817勝(地方)
154戦5勝(中央)
経歴
所属 丸山務(高崎)
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JRAの騎手である丸山元気長男[3]

経歴 編集

1983年11月12日の高崎第1競走 ・カネエイコウ(2着)で初騎乗を果たし、 同16日の第6競走で初勝利を挙げる。デビュー以来、北関東のトップジョッキーとして活躍し、2005年に引退するまで地方通算1817勝を挙げた。

1998年からはタマルファイターとのコンビで中央でも活躍し、1999年6月20日福島第11競走吾妻小富士オープンでは最内を利してアンブラスモアを叩く大逃げを打ち、単勝120倍の大波乱でJRA初勝利を挙げる[4]2000年には重賞昇格前のオーシャンステークスで12番人気2着、サマースプリントステークスではメジロダーリングとクビ差3着、2001年のNSTオープンでは10番人気ながらヒシピナクルユキノサンロイヤルを抑えて3着に入る。また2002年のオーシャンステークスではショウナンカンプに次ぎ、ディヴァインライトネイティヴハートダイワルージュトキオパーフェクトを抑えて3着。6月23日の福島第9競走栗子特別では南田美知雄厩舎のカッツミーで勝利し、3年ぶりの中央勝利は初の中央馬での勝利となった。

高崎の開催最終日となった2004年12月31日は第2競走C5/11普通・エイダイボタンで最後の勝利を挙げ、第8競走A/B1普通・ライトシーザーに騎乗するが、故障し競走中止に終わり、第9競走以降は雪で中止されたため、これが高崎での最終レースとなった。

高崎廃止後は宇都宮に移籍し、3月14日の第6競走西川田賞・ブラックエンペラーが最後の勝利、第10競走平成16年度とちぎ大賞典・トウショウゼウス(11頭中11着)が宇都宮最後の騎乗となった。2日後の同16日ダイオライト記念・タワリングドリーム(11頭中10着)が現役最後の騎乗となった。

2009年に長男・元気が競馬学校を卒業した際には、「できれば騎手にしたくなかったけれど、今は素直にうれしい」とコメントした[5]

通算成績 編集

  • 地方 - 12743戦1817勝 勝率14.3% 連対率27.2%
  • 中央 - 154戦5勝 勝率3.2% 連対率5.8%

主な騎乗馬 編集

  • イーヒメ(1984年三才優駿)
  • エレガントホース(1985年北関東菊花賞)
  • シユウカクレデイ(1987年三才優駿、1988年クイーンカップ)
  • コマツナンキン(1991年クイーンカップ)
  • クラージユガツソン(1991年シルバー賞)
  • キャリーファースト(1993年高崎オークス)
  • サンダークロード(1995年, 1996年シルバー賞、1996年, 1999年高崎観音賞、1997年アラブ大賞典)
  • ユーロライナー(1998年カネユタカオー記念)
  • サンエムキング(2000年高崎記念・スプリンターズ賞・東国賞・太平記記念、2002年織姫賞・開設記念)
  • ジャパシュキング(2000年アラブ大賞典)
  • モガアルテスコ(2001年スプリングカップ)
  • ドラゴンキャプテン(2004年青峰賞・スプリングカップ)
  • フォースキック(2002年尊氏賞・春光特別、2004年端午賞・フレンドリーカップ)
  • エフケーアニカ(2004年ビューティフルトロフィー銀蹄賞)
  • ミホノコトブキ(2004年ブライアンズロマン記念)
  • ベストサウンド(2004年東国賞)
  • ファイブソルジャー(2004年コンフィデンスカップ)

脚注 編集

  1. ^ 丸山侯彦(マルヤマヨシヒコ)”. 競馬ラボ. 2017年3月27日閲覧。
  2. ^ 丸山侯彦の近走成績”. netkeiba.com. 2017年3月27日閲覧。
  3. ^ 第90回 新人騎手の一年”. JRA-VAN. 2017年3月27日閲覧。
  4. ^ 吾妻小富士オープン
  5. ^ 騎手課程卒業丸山元気の父は高崎の元騎手

外部リンク 編集