乃木家 (伯爵家)
乃木家(のぎけ)は、武家・士族・華族だった日本の家。宇多源氏佐々木氏の庶流である野木氏を前身とし、戦国時代の秋綱の代に乃木に改姓したのに始まる。
乃木家 | |
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本姓 | 宇多源氏佐々木氏庶流 |
家祖 | 乃木秋綱 |
種別 |
武家 士族 華族(男爵 → 伯爵) (1915年(大正4年)絶家) |
出身地 | 但馬国乃木谷 |
主な根拠地 |
美濃国 長門国 東京市赤坂区 |
著名な人物 | 乃木希典 |
支流、分家 |
玉木氏(武家・士族) 萩乃木家(武家・士族) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
歴史 編集
野木姓の頃 編集
前身である野木氏は、宇多源氏佐々木氏の武将佐々木高綱の子光綱が出雲国野木村を領し、それに因んで野木を称したのに始まる[2][3]。
この野木光綱には泰綱と行綱という2人の息子があり、泰綱が乃木希典の祖先、行綱が大山巌の祖先(大山氏参照)、また高綱の母の父である渋谷重国が東郷平八郎の先祖(東郷氏参照)にあたる[4][3]。乃木希典は、大山巌と東郷平八郎に特に親密な感情を抱いていたことで知られる。それは二元帥の優れた力量や立派な人格からくる尊敬であることは確かだが、同時に祖先を同じくする血の繋がりから来る親近感もあったのではないかとも指摘されている[4]。
『乃木大将事跡』によれば、泰綱から9代後の野木清高は、畠山政長の家臣だったが、明応2年(1493年)4月23日に河内正覚寺の戦いで主の政長とともに戦死(行年33)、清高の未亡人で当時妊娠していた粟津清久三女は但馬国乃木谷に逃れて遺児秋綱を生み、この秋綱が乃木谷に由来して姓を野木から乃木に改めたという[5]。
乃木に改姓後 編集
乃木に改姓した最初の当主である秋綱は美濃国守護土岐頼芸に仕え[5]、その子高家は美濃の戦国大名斎藤義龍に仕えたが、永禄5年(1562年)11月に小牧某を討って自害したという(行年46)[5]。その孫にあたる高春は美濃山口城主古田重勝に仕えていたが、文禄元年(1592年)の文禄の役において戦死(行年22)[5]。
高春の子である冬継は、長門国萩藩主毛利本家の支藩である長府藩主毛利秀元に仕えるようになったが、後に暇をとって浪人した[5]。
その長男である殷政は伊勢国津藩藤堂家に切米25石5人扶持で仕えたが[6]、弟の傳庵の方は平野長政の取り成しで天和2年(1682年)に再び長府藩に17人扶持賄料月並30人扶持金30両(最終的な石高は300石)の藩医として仕え、彼の系譜の乃木家は長府藩士として続く[7]。その長男春政は玉木に改姓して本藩の萩藩に仕えたため[注釈 1]、甥にあたる娘婿随友(対馬藩士打它寿庵の三男)が養子として乃木家を継いだ[9]。
随友の長男希和も本藩萩藩に250石の馬廻り役として仕えることになり、萩藩内の分家乃木家の初代当主となった(乃木希典は血統上はこの希和の曽孫)。そのため長府藩の乃木家の方は希和の弟隋陽が相続[10]。隋陽の子文郷(銀蔵)は、お咎めを受けて家名断絶を申し渡されているが、萩の乃木分家が長府の乃木本家の家名存続を嘆願、希和は藩主の覚えがめでたかったので血縁関係のない周容の養子入りで乃木本家の存続が許された[11]。
周容の子周久には子供がなかったので、乃木分家の希幸(希和の子)が養子に入った。そのため再び佐々木氏の血統に戻った[11]。しかし希幸も9歳で夭折したため、その弟希次が養子に入って相続[12]。この希次が乃木希典の父にあたる人物である[12]。
希次は江戸藩邸詰めの150石取りの馬廻り役だったため、希典も江戸麻布の北日ヶ窪にあった長府藩毛利家江戸屋敷で生まれている[13]。
乃木伯爵家 編集
乃木希典は、長府藩士として戊辰戦争に出征した後、維新後陸軍軍人となり、明治4年(1871年)に陸軍少佐に任じられて以降累進して陸軍大将まで昇進した[1]。少将階級の時に日清戦争で歩兵第11旅団長として出征して戦功があり、1895年(明治28年)には中将に昇進のうえ第2師団長となり、同年8月に勲功により華族の男爵に叙せられた[1]。台湾総督、第11師団長を経て、陸軍大将に昇進した後、第3軍司令官として日露戦争に出征。旅順攻略などの軍功により、1907年(明治40年)9月に伯爵に陞爵[1]。その後、学習院院長となったが、明治天皇の崩御に殉じて自刃。正二位を追贈・された[1]。
日本各地に追悼運動がおこり、1923年(大正12年)には東京都港区赤坂の乃木希典邸の隣接に乃木神社が創建された。また山口県、栃木県、京都府、北海道にも乃木神社が創建された[14]。
希典には勝典、保典という2人の息子があったが、いずれも日露戦争で戦死し、父に先立っていたため、伯爵位は1915年(大正4年)9月をもって返上となった[1]。乃木伯爵家の絶家は惜しまれ、乃木家の旧主だった長府毛利家の当主毛利元敏子爵の次男元智が分家して乃木に改姓のうえ、1915年(大正4年)9月に乃木希典家と同じ伯爵位を与えられている[15]。しかし元智は、1934年(昭和9年)9月に至って爵位を返上のうえ毛利姓に復したため、この毛利分家の乃木伯爵家も絶家となっている[15]。
系図 編集
佐々木氏族の乃木伯爵家 編集
- 実線は実子、点線(縦)は養子。系図は『乃木大将事蹟 再版』[5]および『平成新修旧華族家系大成 下巻』に準拠[1]。
宇多天皇 | 桓武天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略 | 略 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐々木季定 | 渋谷重国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐々木秀義 | 女 | 渋谷光重 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東郷氏へ (東郷平八郎) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐々木高綱 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔野木家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐々木重綱 | 野木光綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泰綱 | 行綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大山氏へ (大山巌) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
景光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高範 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信行 | 綱俊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高常 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季綱 | 頼綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
希常 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
為綱 | 幸綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利常 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高利 | 清高 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔乃木家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
乃木秋綱 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高泰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高春 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
冬継 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
殷政 | 傳庵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
玉木春政 | 随友[† 1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
玉木家へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔乃木分家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
希和 | 隋陽 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
希健 | 文郷 | 周容[† 2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高蔵 | 希幸[† 3] | 希次[† 4] | 周久 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔乃木伯爵家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
希典 | キネ | イネ | 玉木正誼[† 5] | 集作 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝典 | 保典 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
系譜注 編集
毛利氏族の乃木伯爵家 編集
- 系図は『平成新修旧華族家系大成 下巻』に準拠[15]。
〔長府毛利子爵家〕 | |||||||||||||||||||||
毛利元敏 | |||||||||||||||||||||
〔乃木伯爵家〕 | |||||||||||||||||||||
毛利元雄 | 乃木元智[† 1] | ||||||||||||||||||||
系譜注 編集
- ^ 1934年(昭和9年)9月に爵位返上、毛利に復姓。
脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
- ^ a b c d e f g 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 339.
- ^ 戸川幸夫 1968, p. 56.
- ^ a b 吉川寅二郎 1984, p. 19.
- ^ a b 戸川幸夫 1968, p. 20.
- ^ a b c d e f 塚田清市 1938, p. 7.
- ^ 塚田清市 1938, p. 8.
- ^ 塚田清市 1938, p. 9.
- ^ 太田 1934, p. 4594.
- ^ 塚田清市 1938, p. 10 - 11.
- ^ 塚田清市 1938, p. 12 - 13.
- ^ a b 戸川幸夫 1968, p. 21.
- ^ a b 戸川幸夫 1968, p. 22.
- ^ 戸川幸夫 1968, p. 9.
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『乃木神社』 - コトバンク
- ^ a b c 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 340.
参考文献 編集
- 太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 乃木 ノギ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、4594頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036719。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 戸川幸夫『乃木希典』人物往来社〈近代人物叢書7〉、1968年(昭和43年)。
- 吉川寅二郎『乃木希典将軍 : 嗚呼至誠の人』展転社、1984年(昭和59年)。ISBN 978-4924470088。
- 塚田清市『乃木大将事蹟 再版』乃木十三日会、1938年(昭和13年)。